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芸人を始める前、ホテルで働いていた時の話。

芸人としての収入だけで生活できない芸人の多くは、バイトで生計を立てています。
親が金持ちか、彼女のヒモになる場合を除いては。

もちろん僕もバイトをしなくてはならない芸人の一人で、今まで数多くのバイトをしてきました。

それ自体何も誇れることではないですし、なんなら芸歴3~4年目の頃までは「芸人がバイトの話なんかするなよ格好悪い」という考えの持ち主でした。

ですが、現在もなお生活の一部としてバイトが存在している事実があるので、今回は、僕が今までやってきたバイトの話をしたいと思います。



人生で初めてのバイトは、高3の時に始めたホテルの宴会サービスです。

要するに、披露宴や企業のパーティーなどで、料理などを提供する蝶ネクタイのあの人たちです。
そこで、テーブルマナーやワインの入れ方、冠婚葬祭のイロハなど多くの事を学びました。

これは、大学4年間、そしてNSC(お笑いの養成所)に通っていた1年まで続けていました。



平日は企業や団体などの普通の宴会。土日は大体披露宴。
土日は特に大忙しで、披露宴が1日に3発の時もありました。

料理提供だけではなく会場設営もあるので、
片付けながら次の準備をする「どんでん」が意味わからんくらいしんどかったです。




あと、めちゃくちゃ体育会系でした。
キッチンから会場裏まで人数分の料理を運ぶ「ランナー」(会場に入らない人間。基本男。)をやっている時、数が足りなかったり、内容に行き違いがあったりすると、よくキレられました。


「おい!ホンマに合ってんのか!?もっかい確認してこい!」

「は!?聞いてへんぞ!今からそんなん出来るか!」


と、現場担当とシェフの板挟みになった時は
「ホンマこいつら○したろか。。」
と思う事もしばしばでした。

やはりパーティーは動くお金が大きいので、社員は多少気が張るのではないかと、大人になった今なら理解できますが、その時はそんなこと知りません。しょっちゅうムカついていました。



披露宴も、自分が入りたての頃は、友人が作ったVTRや花嫁の手紙などで感動してしまう事もありましたが、慣れてくるとそれどころではありません。
会場が涙に包まれる中、「次いつ肉出すか」や「引き出物間違えんとこ」と考えるだけの、宴会遂行マシーンになるだけでした。



仕事自体は楽な仕事ではなかったですが、社会のいろんな面も見れました。
政治家の政治資金パーティーや、某宗教団体の集まり。ネットワークビジネスの表彰式など、今思い返すとなかなか貴重な経験だったと思います。
BEAMS社員の方の披露宴はみんなめちゃくちゃオシャレでした。




あと、同世代の学生がたくさん在籍していて、その子たちと仲良くなって楽しかったです。

飲み会も結構やりました。
この頃に大人の入り口を経験できたのかなと思います。

これはホテル従業員あるあるなのかは分かりませんが、飲み会に来る時の社員の服、めっちゃダサく感じがちという事。
多分、黒服でビッシリ髪もセットしている(僕もジェルでオールバック)など、働いてる時の姿がかっこいいので、ギャップを感じてしまっていたのかもしれません。
なぜ、ポケットの内側だけチェック柄のズボンを手に取るのでしょうか。
理解に苦しんでいたあの日の四条河原町の居酒屋。
懐かしい。



忘年会は毎年自分たちが働いているホテルでやりました。
その日だけは客としてパーティーに出席するのです。
よく言えば、ディズニーランド従業員が年に一回パーク内を貸し切って遊べるアレです。
規模が違いすぎますが。


無論、恋愛関係になることも多々ありました。
力仕事が多いので、頼りになってあげようと思えばなれる機会が頻繁にあります。
バック通路などで高いものを取ってあげたり、
重いテーブルやイスを運んであげたり、
何枚か多く料理を持って行ってあげたりと、
しらこくアピールしていたので、結果何人かの子と付き合いました。

別れた後、同じバイトを続ける時の気まずさなど、ハタチそこらの若造には分かるはずもなく。です。





同い年にヤマムラという男がいました。
声がデカく、誰彼構わず陽気にグイグイ接する彼は、いじられキャラで見た目もポップ。
周りからよく「キショいねん」と愛されていました。
当時彼とは仲が良く、よく飲みに行ったり、忘年会で僕が考えたネタをやらせたり、レンタカーで広島旅行にも行く仲でした。



そんな彼が同じバイトの女の子と付き合いました。
その子は可愛くて、とてもヤマムラが付き合えるような子じゃないと周囲もざわついていました。

しかしすぐフラれてしまい、ある深夜、「話を聞いてほしい」と僕の実家に押しかけて、僕に泣きついてきました。
すごく彼女の事を愛していたヤマムラ。
とても可哀想で慰めようとしましたが、泣き顔があまりにも面白すぎて、笑いをこらえるのに必死でした。
濡れた赤めの岩でした。


「うん、、まあ、そやな、、、んっ、ふっ、、!うん、、」

としか言えず、岩をそっと撫でるしか出来なかったことを、今でも鮮明に覚えています。



学生時代にやっていたバイトはこの宴会サービスのみでした。
この時は特に何も思わなかったですが、いろんな経験が出来てよかったです。
ここに書いた通り、宴会によってさまざまなので、同じことの繰り返しではなかったように思います。


何個かのバイトの話をするつもりでしたが、思いのほか膨らんでしまったので、他の話はまた次の機会にします。
てかバイトの話いっぱいあるのって芸人として果たしてどやねん!もうええわ!

という思いを秘めながら、また読んで頂ければ幸いです。

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