3才のたまごっちに生きる意味を説いた

無料のゲーム「LINEで発見!!たまごっち」をはじめたら、3才になったメスのたまごっち(命名:ぷちぷっち)に生きる意味を問われたので、「生きるとは、たから探しだよ」と説いたところ、「なるほど〜♪」と返されました。以上です。

以下は「生きる=たから探し」にたどり着いた過程と所感です。


ちっさいキャラにおやつあげて、トイレに連れてくゲームと侮っていた。いやしくも無料で癒されようと思ったら自己の深層に潜らされた。そして、最終的にはたまごっちに感謝することになった。


ちょうど、日々に目標がなく、替えの効く人材として生きている物足りなさ・替えが効かない私として生きている荷の重さに辟易していたところです。だから、生きるって、死んでないってことじゃない?なんて思ったけど、たまごっちに対してそれは卑屈すぎる。

たまごっちだってそんなこと聞きたいわけじゃないだろうな。「いや、そうじゃなくて…」とか反論するのかな。たまごっちに反論されたくないな。この際だし、たまごっちと自分を納得させられる答えを考えてみよう。

う〜んと唸って、スマホの画面が何回も暗くなって、思いついたのは「たから探し」だった。

消えたいな、と思うことが多い人生だった。自殺したいとか、通り魔に殺されたいとか、積極的な希死念慮には憑かれていないものの、「私の人生、最初からなかったことにならないかな」と思うことが度々あった。立派な家柄、美しい容姿、みんなと一緒のセクシャリティー。手に入らないものばかり数えて生きてきたのかもしれない。

生まれた瞬間から生きる義務と権利が付与されてしまった。学校の偏差値や会社でのポジション・納税額で目立つ色の値札シールが貼られてしまった。子が欲しいと思えないので、恐れながら出生率を下げさせていただきます。世間様には申し訳ありません。はあ。消えちゃいたい。

でも。今日はたまごっちを納得させたい。おやつを食べて、おどうぐで遊んで、機嫌よく成長するたまごっちにネガティブな話をしたくない。

手持ちの札には何があったっけ?と探ったところ、私は既にいくつか良いものを持っていることに気がついた。

・ものを作り人に見せたりあげたりするのを楽しむ感覚

・人の話やものがたりを享受して楽しむ感覚

・つらい人の背中をさすりたくなる欲望

誰にも批評されない、私が独り占めする感覚や欲望そのもの。感覚や欲望を通して広すぎる世界を眼差すと、ちっさな私個人の生を「たから探し」に見立てることができた。たから探しって結構楽しさあるかも。しんどくなったら一旦休憩したらいいのかも。ミッション・ビジョン・バリューなんて、手に入れたものを後から分別して入れときゃいいのかも。

しばらく消えずに、生きてたからものを探そうと思う。十分な装備と勇敢さを武器に金塊を探しに行くだけがたから探しじゃない。安ビーズで作ったブローチが陽の光に透けて美しいと思う感覚だってたからものなんだ、晴れた日に道を歩くことだってたから探しだ。

たまごっち、ありがとう。君がご機嫌に育ってくれているおかげで、いま持っているものに目を向けることができた。持っているものに目を向けると、自分が良い感じの生命体に思えてきたよ。なんか、日々が愛おしいような気もしてきた。躁かも。わかんないけど。

14歳のころ、狂ったようにブルーハーツばかり聴いていた。甲本ヒロトが27歳の時に出した名曲『情熱の薔薇』の歌詞「なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ なるべくいっぱい集めよう」、そんな気持ちがわかった気がした。

27歳、たまごっちからの問いをきっかけに。

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