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おばあちゃんのお葬式に13人の坊さんが来た

来た、というか呼んだ。

おばあちゃんはお寺のお姫様だった。
だから「この地域でいっちばんサイコーなお葬式にしような😁」という長男の独断で、

13人のお坊さんが来て、
幾十にも重なる花壇を設え、
豪勢な院号をつけてもらって、
贅を尽くした。

おばあちゃんは大腸に穴が空いて
大量に出血し、ぽっくり死んだ。
ガリガリだったから一瞬で死んだらしい。

元々ド級の偏食だったが、
15年前に老人性うつ病を患ってからは加速し、
色と匂いがついたものを嫌った。
百合根を出汁で炊いたやつとか、
プリンとか、そういうものしか食べなかった。
158センチとこの時代の人にしては高身長だったが、34キロしかなかった。
それでも90歳まで生きた。

この長寿も、長男である住職の献身的な介護の賜物だった。

おばあちゃんの長男は本物の生臭坊主で、
檀家が少なく稼ぎも大したことがないのに大酒飲みで酒乱、ええかっこしいでキャバクラ好きの大うつけだ。未婚で子どももいない。
生活のほとんどは、大企業に勤めていたおじいちゃんの年金で賄っている。
親の金頼みなのに気前がよくて明るい、世間知らずの大うつけ。
だけど、おばあちゃんを大切に大切に、赤ちゃんを愛でるようにあの世に送り返した、立派な長男でもある。

大うつけは袈裟を着て喪主をやった。
この13人も和尚が登場する大層な告別式というステージを、自分の母1人のために用意し、
一滴も涙せず仕切りきった。

私の父は5年前に死んだ。56歳だった。
もうヨボヨボで感情表現も乏しくなっていた当時のおばあちゃんは、ガリガリの肩を震わせながら泣いていた。

父は次男で、あまり母に大切にされていなかったと聞いていたが、
おばあちゃんは「えらかったよ」と言い、
冷たい父の頬を撫でて送り出した。

えらかった、とは、偉かったではなく、
「しんどかったね」という意味。

うちは田舎の小さい分院。
盛大なおばあちゃんのお葬式は、
小さい分院の見栄だった。

おじいちゃんは元々、偏屈な大工だった。
女の子しか生まれず後継ぎの居なかった寺の修繕に呼ばれ、そこで長女のおばあちゃんに一目惚れした。

おじいちゃんは、
「絶対男の子を産んで寺の後継ぎにするから、
結婚させてください‼️😤」
とゴネて、説得一本で恋愛結婚を勝ち取った。
その後地元の大企業に勤め、
男の子を2人つくって、
約束どおり、長男を後継ぎにした。

おじいちゃんは生きているが、
8年前から高齢者施設で暮らしている。
身体が悪く看護師さんのいるところで過ごした方がいい、というのは建前で
あまりの偏屈さにおばあちゃんも長男も辟易していたからというのが本音。

そんなおじいちゃんが唯一甘々に接したのが
孫娘の私である。
私にだけ甘く、
欲しいというものを全部買い与え、
べつだん欲しくないものも買い与えた。
週に何度も電話をかけ、私の声を聞きたがった。
おじいちゃんが偏屈モードに入ると場に私が投入され、仲介をした。
(これについてはよくない育ちだと思う。私を生贄にした実親含む大人たちのことを疑うが、
「場でいちばんえらい人の顔色を察し、
その人が喜ぶことを言う」というかけがえのないスキルは得られた。)

なのでてっきり、
おじいちゃんは私のことだけが大好きなんだ、
と思っていたが、おばあちゃんの納棺準備をしていたら

「おいおい、おばあちゃんのこと大好きやんけ‼️😏」という痕跡がたくさん出てきてワロタのだった。

まずお着物。
おばあちゃんはスラっとした美人だった。
色白で鼻が高く、垂れ目なのに甘えた感じのしない顔立ち。腰の位置の高い長身。
ずんぐりむっくりのおじいちゃんは、
おばあちゃんを美しくプロデュースしていた。
お棺に一緒に入れられるおべべをと思い、
大きな桐箪笥をあけたら、
高い正絹の着物が山ほどあった。
そのどれもが儚く消えるような意匠で、
おじいちゃんの一貫したフェチズムを読み解くことすらできた。

貴金属もたくさんあった。
燃えないのでお棺には入れられなかったが、
細くて長い指に似合う真珠の指輪や、
でっかい竜のペンダントなど
いろんなテイストのものがあった。

私が中学生くらいの頃まで、おばあちゃんはいつ見ても綺麗な口紅を塗っていた。かなり彩度の高い赤い口紅が、不思議と派手にならず馴染んでいた。
遺品(貢ぎ物)を見て、もしかしたら口紅も、おじいちゃんが選んでいたかもしれないと思っている。

おばあちゃんは昔の女だった。
私が東京の大学に行くことも、
フルタイムで働き昇進を目指したり、
長く独り身でいることも、
全て理解しなかった。

子どもを産んで育て、
いいお洋服を着て美しく保ち、
お花を習って、
夫の後ろに控え、
奥様たちとご近所付き合いをすることが
最も幸せで目指すべき姿であると
本当に信じていた。

完璧な美しい妻であるおばあちゃん。
後継ぎを育てた寺の長女であるおばあちゃん。
ご近所や檀家さんの御婦人グループでも
お姫様扱いだったおばあちゃん。

おばあちゃんのお葬式に13人の坊さんが来た。
主役級の和尚さんが何人も来て、
おばあちゃんのために詠唱し、
太鼓や木魚や、なんかシンバルみたいなものを叩いた。
フィナーレでは「どー‼️😠😠」みたいな
大きな掛け声を出したりした。
おばあちゃんの魂を肉体から分離させる掛け声とのことだった。

告別式の日は、おばあちゃんのお誕生日でもあった。おばあちゃんの誕生日にみんな集まった。

おじいちゃんは車椅子で、火葬場には立ち会わなかった。
みんなでお棺にお花を入れて、
ポロポロ泣いたり、おばあちゃんの薄くて冷たいおでこを撫でて挨拶をしたりしているなかで、
「死んだらおしまいよ、めんどくさい」と一言言った。
おじいちゃんすごく落ち込むかも…と思っていたが、軽口を叩くような口調で、私の目を見て言った。

それでも出棺のとき、
車の中からおじいちゃんの方を見たら
すこしだけ泣いて、太く節張った指で瞼を拭っていた。

坊さんたちは美しい衣を着て、
草履をぺたんぺたん鳴らしながら、
ゆっくりと歩いて来て、帰っていった。

みんな〜❗️
今日は私のおばあちゃんのために集まってくれてありがとう😊


私はおばあちゃんのことを何も知らなかった。
なんかやたら美味しいものを作って食べさせてくれたり、可愛いお洋服や浴衣を作って着せてくれたりしたね。
私が"男みたいに"進学や就職で家を出ることは
かなり嫌そうだったけど、
うつ病になってからも私に会うのは楽しみにしてくれたね。

なんでもない日の記憶だけど、
一緒に部屋の床に座って、
ボウルいっぱいの絹さやの筋を手でとる作業をしたことを覚えてる。
おばあちゃんはずっと、
あれをし続けたかったんだろうな。
半端な向上心で新しい価値観を身につけてしまったから、ご希望には添えなかったけど、
それでも大切にし続けてくれてありがとう。


みんなのお姫様のおばあちゃん。
女優さんのお葬式みたいな、
美しいステージだったよ。

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