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退職雑記 香川の夜、伝えられなかったこと

あんなに緊張したのはいつぶりだろう?
ひょんなことから「キャリアブレイクの実践者」として人前で話す機会を頂いた。3月某日の振り返り。

誘ってくれたのは、「キャリアブレイク」を文化あるいは選択肢として定着させようと活動している北野貴大さん。トークイベントは、彼の書籍発売に合わせ、香川の書店「ルヌガンガ」さんが企画された。

キャリアブレイクとの出会い

北野さんと知り合ったのは、僕が会社を辞めてすぐのころ。大阪で出版直前に開かれたイベントで、キャリアブレイクを知った。
なんだか宙ぶらりんになっちゃったなぁと思っていた僕にとって、その概念はもちろん、彼と出会えた意義は大きい。特にその日のイベントで聞いた「感性を取り戻し、それを発揮した人を、社会が放っておくはずがない」という言葉は痛快だった。

キャンペーン期間

そんな出会いから数週間後、「みんなで香川に行きませんか?」という突拍子もない呼び掛けとともに、メッセンジャーのグループが作られた。同行者は全員はじめまして。これまでの自分だったら絶対にものおじしていたが、それこそせっかくのキャリアブレイク期間だから、えいや!で乗っかってみた。

すると数日後、今度は「ところで、香川のイベントで話しませんか?」と無茶振り。これにも乗っかってみることにした。

退職してしばらくして、「コンフォートゾーン抜け出しキャンペーン」を自分の中で(ゆるく試験的に)行っていた。未経験のことに挑戦する、ちょっと気が引けるけれど会いたい人に会いに行ってみる、とかを意識的に行う運動。

何より、クレイジーなお誘いに対して、しれっと乗っかるクレイジーさでお返ししたい気持ちがあった。

当地で適したスピーカーがいれば…という話もあったみたいだけれど結果、僕がお話することに(僕も地方出身だから思うのですが、こういう話題のイベントで、地元の人が手を挙げるのってすごく大変なんですよね)。事前に北野さんから言われていたのは「対話としてやりましょう」ということ。なるほど、対談とは違うスタンスがしっくりきた。

まだ暗中模索真っ只中の身分で何を話せば…?と考える中で「対話」という言葉は鍵になってくれた。シャワー浴びてるときとかも考えていたのだけれど「とにかく素直に、ダサい部分もなるべく隠さず、ありのままの自分を見てもらう」が自分のテーマになっていった。

緊張の理由

イベントは営業後のルヌガンガで行われ、約30人にお集まりいただいた。みなさん本当に身を乗り出して、北野さんの言葉を捕まえようとしていて、静かな会だけれど熱気があった。店主の中村勇亮さんが質問者となり、頂いたテーマに沿って北野さんと僕が話す、という形。

マイクを握りながら強張っていた理由は、今ははっきりと分かる。決してアドリブの利く方ではないのだが、ともすれば聞こえの良い言葉を並べてしまう癖がある、という自覚があった。だから、それだけは絶対にやるまい、と力んでしまっていたのだ。もしそれをやってしまったら、その場に来てくれた人たちに不誠実だから。

お話ししたのは、この選択に至った経緯、変化、お金のことなどなど…
いま振り返ってもガチガチだったなぁと恥ずかしくなるし、何かを伝えられたのか全然分からん。

ただ終了後、参加者の皆さんが声を掛けてくださり、お話ができてうれしかった。少し安心した。「素敵な人が身近にいらっしゃるんですね」という言葉は、本当にうれしかった。北野さんからも「キャリアブレイクしてる人が目の前で話してくれたから『やってる人本当にいるんや!』って勇気づけられたと思う」と言ってくれた。ただ「車の中で打ち合わせしてたときの方が2倍面白かった」とも言われてしまったけれど。笑

運の良さで済まさないために

そんなふうにお客さんとの立ち話で「いやホント僕はただ運が良くて…」とこぼすと「さっきも、ラッキーって何回もおっしゃっていましたよね」と言われた。本当に自覚ゼロで、何度も口走っていたらしい。

僕の運の良さは、自分で言うのもなんだが、信じて疑わない。けれどそう思えない人だっている。
ではどうするか?

(本当はそのあたりまで、キチンとみなさんの前でお話できたらよかった。そう思って、遅ればせながらnoteを書いてみました。もし当日来てくださった方が読んでいたら、その節は力不足ですみませんでした。)

その答えの一つが「キャリアブレイク研究所」の存在なのだと思う。僕はそれこそ運良く円満退社で着地したが、ネガティブな感情を引きずってキャリアブレイクに突入する人もいる。そんな人は少し休んで、人と会う気持ちが芽生えたら「キャリアブレイク研究所」を検索してみてください。きっとその先には同志がいるし、境遇は違えど理解者もいるはず。

実は、僕はタイミングを逃して研究所のイベントには参加できていません。けれど、そういう組織や場があると知って「ヤバくなったら駆け込んだらいいか〜」と思うと気が楽になったし、今ものほほんと過ごせています。

「キャリアブレイク」の幅を思い知った

北野さんと近くの宿「TEN to SEN」でチェックインの手続きをしていると、先ほどまで会場にいたという方と鉢合わせし、一緒に夕食に出ることに。その方もキャリアブレイク中ということで、エクストララウンドよろしく北野さんを挟んでお話させてもらった。

その方の詳細は伏せるが、一言でキャリアブレイクといっても、もちろんそこに至る道筋は違うし、その期間をどう過ごしたいかも異なる。彼女が周りに求める「本当に放っておいてほしいのに」という言葉は、切実さを帯びた叫びだった。僕の境遇とはまるで違う。

心のどこかで「キャリアブレイク経験者だから、少しは気の利いた言葉を掛けられるはず」と思っていたが、それとこれとは全くの別問題だ。書籍にもたくさんの事例が挙げられているのに、「あなたも実践者」と言われて多くを理解した気になっていたと、恥じ入った。

繰り返しになるけれど、私は「キャリアブレイク」という言葉に救われた身だ。ただの無職、ブランクとは違う立ち位置が与えられ、自分自身を少し俯瞰して見えるようになったし、これからが楽しみになった。
けれども、キャリアブレイクに行き着いた経緯は十人十色。言葉が持つ幅の広さゆえに、語るときには配慮も必要なんだと痛感した。

そうやって頭をペシッとたたかれる思いができたのも、運の良さなのだと思いたい。

最後に

前述の通り、街の規模感はさまざまあれど地方で離職や休職、転職の話をするのはまだ難しいと思う。けれど、あの夜あの場に集まってくれた人たちは「人生をより良くしたい」と考え、ときに悩んでいる仲間だと思っています。ここに書ききれなかった出会いにも感謝しています。

それにしても、自分の街にあってほしいお店がたくさんあった。城下町だからか、山陰人としては松江に似た趣が感じられました。高松も、また訪れたい街になりました。

やっぱり僕、ツイてるわ!

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