近頃、自慢できる場所がない
電車に乗っているときに、僕は立ち上がった。
届いていたメールが嬉しかったのだ。
周囲の目を気にして、また座る。
メールはこうだ。
件名:優秀演題のお知らせ
差出人:〇〇学会事務局
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〇〇様
平素よりお世話になっております。事務局〇〇です。
〇〇様の学会でのご発表が優秀演題になりましたので、お知らせ致します。
どうやら夏に学会発表したポスターが優秀演題になったらしい。これまで頑張った甲斐があるなあとしみじみした。
学会の閉会式で直接表彰状を渡すのではなく、後からメールで通知してくるあたりが現代的で、無味乾燥としている。
大学生である私は、まずご指導いただいた先生にメールで連絡を入れた。
件名:学会ポスター発表の御礼
差出人:〇〇
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〇〇先生
平素よりお世話になっております。〇〇です。
〇〇様の学会でのご発表が優秀演題になりました。
先生のご指導のおかげです。大変ありがとうございました。
次に友達に連絡を送ろうと思って、iPhoneのLINEアプリを開いたところで手が止まった。
「自慢するなんて嫌なやつだなと思われたらどうしよう」
そう思われたら嫌だなと思った。思ってもいないのに、ただ「おめでとう」というスタンプを送られるだけのやり取りで終わるだけなら送らなくてもいいかと、LINEアプリを閉じた。
近頃、自慢がしにくい。大人になって、自慢したいなんて言うなと言われるかもしれないが、純粋にこれまでの苦労をねぎらってほしいと思ってしまう。
しかし、他人の成功を冷ややかに見る人が多くなった気がする。SNSではfacebookに成功体験が並ぶ中、twitterや2chではなぜ成功の共有をするのかと批判が並ぶ。そうすると、Facebookのコメント欄に並ぶ「おめでとう」が無味乾燥なものに思えてくる。かくいう私もInstagramでカップル旅行の写真があると、イラッとしてしまう。なぜだろう。
私たちは他人をまず「機能」で見る。英語ができる、〇〇大学出身、国際誌で論文投稿した、恋人がいるといった具合だ。そうすると、人は比較しだす。スマホと同じだ。最新機種の方がいいし、容量は多い方がいいし、カメラは機能がいい方がいい。人間の場合はそれが、TOEICの点数だったり、出身大学だったり、恋人の有無だったりするだけの話だ。英語はTOEICの点数が高い方がいいし、出身大学は有名な方がいいし、論文は有名な雑誌である方がいいし、恋人はいた方がいいに決まっている。
機能は良ければ良いほどいいのだ。
ただ機能で見ていると、疲れてくる。機能で優れている、劣っていると比較しだすので、自慢を自分より優れているアピールをしていると思うようになってしまう。
でも、私は優れているアピールをしたいわけじゃない。ここまで苦労したこと、長年の悲願だったこと、好きなことで認めてもらえたことを、ただただ感情的に認めてもらいたいだけ。
「機能」ではなく、「人格」を見てほしいんだ。
「ずっと研究の話してたもんね、優秀演題おめでとう」
「英語好きだったもんね、TOEIC高得点取れたし、留学もできるよ!」
「誰かがそばにいないと生きていけないもんね、恋人できておめでとう」
そう人格を見て、声をかけてくれる人が、そばにいるだろうか。
今は「人格」を見てくれているのか、わかりにくい厄介な時代だ。
昔は、直接対面して話していたから、表情から相手が自分の「機能」を見て、おめでとうと言っているのか、「人格」を見て、おめでとうと言っているのか、なんとなくわかっていた。
でも、SNSが発達して、相手の顔が見えなくなると、相手が自分の「機能」を見ているのか、「人格」を見ているのかわからない。だから、みんながみんな、自分の「機能」だけ見て、批判しているように捉えてしまうんじゃないか。ともすると、リアルで会っているのに、SNSでは批判されているように感じてしまう。
私は、そこまで考えて、再びiPhoneを手に取った。「人格」を見てくれる友達はどこにいるだろうと、思って、普段夜な夜な一緒に日本酒を飲む友達に連絡を入れてみた。
〇〇:学会の発表、優秀演題になったよー( ´ ▽ ` )ノ
友達:おめでと!
〇〇:(喜ぶスタンプ)
友達:放課後、研究室行ってたもんね!よかった!〇〇のやりたいことにつながるといいね。
案外、「人格」を見てくれる人は一番近くにいるのかもしれない。
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