12月

11月末の時点で今年の楽しい予定納めか〜、と一足先に来年に意識を飛ばしていたのだけれど、急に久しぶりの再会が2度続き「楽しい納め」は順延されることになった。どちらも前回からかなり空いた長い付き合いの2人で、今年会えると想定してなかった分もあってとても嬉しかった。

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学生の頃、近しい人に「あなたってそうだよね〜」と言われることにすごく抵抗があった。今、あの頃より歳を重ねて少々は丸くなれたのか、的外れではない「あなたって、」は案外良いものだなと思えるようになってきている。

懐かしい人との会話のあちこちで「それはメモさんらしいわ〜」とにこにこされたり、会社で「少食なのにボリューミーな仕出し弁当完食できたんですか!?」とかってぷちネタになったり、そういうの。小さくて、どうでもいいかもしれないけど、ちょっとほかほかしてるやつ。

社会に属していると、ただ相手を評していたい人から「きっとこうなんでしょうな〜」の「きっと」の推測を大幅に割愛されたり無視されたりして「こうなんでしょ??」とか間違ったらしさで測られることもあるよな〜、と感じている。寂。そういうことが割とよく起こる中でも、小さいことだってきちんと自分を一人として見てくれている人の「らしさ」に出会える日もあるのは、嬉しいものなのだな〜、と思うなど。今日も掘り下げなくて良いところを掘り下げて生きている。

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これが今年最後のnoteになるのだろか?また更新するような気もすれば、体感が秒の師走らしさにより気付いたら年が明けてたなんてのもあり得る。今年は「来年どんな年になるかクイズ」を開催しないつもりでいるのも、すぐ気が変わってどんなになるかな〜と夢想してそう。気まぐれちゃん。

2023年はずっと「私は何も成し遂げてない」がそばにあった。大きな何かを大成できなかったという意味ではなく、社会の歯車のひとつになって、何かの役に立ったり誰かのためになったりできているという実感が全く伴わなかった、という。ミスチルの歌詞にこんなのあったなあ。

そういう1年だったので、今年も変わらずに会ってくれる人がいることをかなり希望にしていた。内的には、noteだけじゃなく世に出さない書き出しにも救われていた。外から満たされるコップと自分が満たすコップがあったら、自己評価的に「成し遂げられてない」わりには、去年よりは両者のバランスがよかった気がする。こんなんも全部こじつけだけど、年末思考なので何事も着地よく捉えるのが良い。

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いつか何も書き残さない人になりたいというのは、取り急ぎ来年には…実装されなさそうすぎる…!どうせ書き残してしまうなら、虚無系の吐露に寄りがちなところを、楽しいことの配分も増やすようにしていけたらよいのになあ。早速こんな年にしたい、を考えてしまっていた。。

次に書くときは楽しいこともましましにしたいな、というのもすっかり忘れて新しい掘り下げをしてるのだろうな〜。らしさ!楽しいや温かい、を並べられる日がどんどん増えますように。ついでに自己評価の成し遂げ感も得られますように!年末感を先取りして、体よく来年あての祈〜〜〜。

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