読んだ。「ここはすべての夜明けまえ」

ずっと夢の中にいるみたいだった。
という感想をきっとどこかで書こうと思いながら終盤は読んでいたので、その思いを叶えてあげることにした。ここで。
自分が読んだ本の感想を上げるなんて、誰かにとって見当違いになったらと思ってできなかった。今初めてする。下書き止まりで投稿にはならないかもしれないけど、夢の中みたいな小説を読んだ余韻のまま、世界に引っ張られ、勝手に夢の延長のような気持ちで書く。わたしのはなしを勝手に夢にするなんて、と主人公に言われてしまうかもしれない。大丈夫、私の投稿はそんな遠くまで届くことはないから、時間を越えた未来の私はきっと読むけど、楽しんでくれるから。ってよくわからないフォロー。

小説においてネタバレは避けたい派すぎるので、なるべく内容自体については触れず思ったことだけを書き残しておくことにする。したい。のでこの本が気になっている人にとっては何の参考にもならない。
読みたい誰かは目にするかもしれないという自意識がまだ自分に残っていることに驚くけれども、それは本題ではないのでまたいつか。きっとどこにも書かない。

ーー
SFの世界とか起こることを疑う方ではないのだけど、なんだか、この本は「初めて」だった。本当に誰かの世界を覗いているみたい。内容は決して明るいばかりではないのに読んでいる間は度々白さ、みたいなものを感じていた。自分でもよくわからない。言語化が難しいし、作者の想像する世界に白がなかったら申し訳ない。誰目線な感想。

自然の勝手なイメージで「自分だけずっと生きていって、たいせつなひとがいなくなってしまうこと、」に焦点をあてた作品なのだと思って読み始めた。ので、父親の登場にもそんな先入観があった。そういうことでもなかった。と思った感想がもしまだ読む前の誰かの目に触れて、そういうことじゃないという先入観ができてしまったらどうしよう、台無しかもしれん、と思う私はやはり小説レビューなんか、ハナから向いてない。
そして、「そういうことでもなかった」にしたのは今の私であって、読む人によっては父親もきょうだいもみんなみんなもっと愛して読んであげられるのかもしれない。など。それは綺麗事すぎたかも。わからない。別に、そこはわかる努力をしなくともよいとこ。あー、内容に触れないようでいて触れちゃってるじゃん、とすぐ誰目線になる私が言う。

作中に出てきた曲でプレイリストを作った。読みながら聞いたのはたかだか数周で、中盤からは何も聞かない私で読んでしまい、残念ながら「この小説=このプレイリスト」作戦は失敗した。

私は長生きするつもりがない。というのは、生きることに対して希望を失ってるとか全然そういうんではなくて、当たり前に高齢者になる自分がイメージできなすぎるなあというところからくるいつも持ち合わせているものなのだけど、もし、そんな自分がいつかおばあちゃんになれたとき、この本を読んだらどう思うんだろうなあと思った。2024年に出版されて、主人公は2123年で家族史を書く。その、2123年に少しでも近づいた私がまた読むとき、何を思うんだろうという純粋な疑問。ボカロや永瀬さんを懐かしく思ったり、交通機関の発展はリニアが最速止まりよ、とか思ったりするのかな。遠すぎるなあ。

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この作品を見つけたとき「絶賛の声続々」にあった、「声」。
出版社も、きっと作者も同意して売り出しているのだろうけど(いや知らないけど)、この「声」たちがとても的外れに思えてしまった自分はなんなのだろう。そんな感想、薄くてもったいない、と思ってしまった。「声」の主にも、出版に関わった人にも失礼で冷たすぎるな。濃い感想が書ける私なわけでもないのに。
自分だけが読む本当に本当、の感想はスマホメモに書いた。長い時間ずっと書いてたけど、主人公の「家族史」からしたら比でもないなと思った。
作者が意図したこと、出版社がどう売り出したいとか、感想を持った人たちがどんな気持ちで読んだとか、今の私が何を思ったか、とか、本当のところなんてどこにもなくていいのにな。など。

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ネタバレを避けたいくせに、内容に触れることを書いているので、(私が懲りず想定してしまう)もしまだ読んでいない方がいたらここから下は本文の引用を含みます。



「ここにかかれてるのはほんとうのことだっておもってもらうにはどうしたらいいんだろう、ほんとうはどこからやってくるんだろう。もししんじてもらえなかったらちょっとざんねんだけど、じゃあせめてうそとしておもしろかったらいいな。」

物語の主題はここにはないかもしれないけど、すきだった。長さ的に省略したこの前後も含めてすきだった。もしこの投稿が学生時代のTLにあったらいいねして仲良くなってしまいかねないと思った。
作中の「、」の使い方、自分がスマホメモでひとりだらだらするときのに似ていて、そんなとこも「仲良くなれるかもしれない」のひとつで、やっぱり、いや誰目線ーなのだった。

2123年12月26日以降の、名前もわからない彼女のこと、彼女がゆっくりとみつめて、たくさんの景色や今は知らない素敵を感じて、とっておきのおしゃべりともだちとうんと語り明かして、うつくしいあかを見て、どうかゆたかに過ごしていますようにと、すごく勝手に思った。私が彼女と出会ってしまったら、私にとっての尺度で「よく」過ごせるようになんて、縛ってしまう存在になるのだろうなあと思ったけど、会うこともない彼女なので素直に願っておいた。2024年6月末のこと。
きっとあとで恥ずかしくなるようなよくわからない感想を、彼女のことばに手を引かれてうっかり書き残してしまった。私が「本当」だというほやほやの感想からは少し外れてnote用になってしまった感が否めないけど、それでも読み終わって割とすぐの自分が思ったことには違いないので、投稿してみることにした。

少し時間をおいて読んだら本より自分の言葉がすきなひとの文章みたいに思えて、まあそんなに間違ってもないのだけど、なんだかせっかく出会えた人生で何回も読み返したい本に申し訳なくなるのもした。感想文は向いてなかった。

未来の自分がこの本を読む度にここにも戻ってきて、今はそうは思わないな、今も同じ気持ち持ってるな、とか思い出して、ついでスマホメモにも飛んで「noteは随分よそいきじゃんー」みたいに思ってくれたらよいなあ。少なくとも今日よりは2123年に近付いた私はこれからどんなことを重ねて読んでいくのだろうね、など。
余談だけど、いくら大切な友達がいても読んだ本の感想を私がこの声で、口を開いて長々語り始めることは今までもこれからもきっとなくて、やっぱり私は主人公と仲良くなれるかもしれないなんて、どこまでも身勝手な着地をする。てにをはも考えない、まとまる前のぐちゃぐちゃの感想でも、いつか隣で聞いてくれる人に出会えていたらいいね。というそんなのも、本当に望んでいるのかよくわからない私を、私が一番わかってあげるのだけは絶対に絶対にいつであってもそうしていたいなー。


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