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鈍色に月は残らない

豪雨に震えながら眠ったのが一昨日の話。豪雨に怯えながら起きていたのが昨日。

天気予報など当てにならない。はじめは何十ミリも降るとほざいていた天気予報が、私が目を覚ます直前には雨量数ミリに更新されていた。小さな(尤も私にとっては大きな)歓喜に踊ったの束の間、数時間後には再び数十ミリ単位に変わっている。途端に息が詰まった。
これほどまでに私が豪雨に怯えるのは、雷を伴う可能性があるから。ただそれだけの事だ。されどそれほどの事なのだ。
ただでさえ爆音恐怖症である私が雷に対し平生を装っていられる筈もない。外に出なくてはならない予定があるにもかかわらず、私は大事をとって予定を蹴り潰した。雷によるパニックと過呼吸を回避する為だけに。
一日中雨の音に感情を揺さぶられながら、私はじっと机と向かい合っていた。やっと十五時頃になると、昼食と言えない食事を摂り、じっとゲーム機とパソコンにしがみついていた。その間も豪雨は私の肩身を狭く押さえつけている。まるで心臓を常に掴まれている感覚に耐えきれず、ノイズキャンセリング機能付きのイヤホンで耳を塞いだ。雨音が嘘のように静まり、何も聞こえない穏やかな時間が私を包み込む。白波が凪ぐように、余計な微風さえも無い無音の空間に異常な居心地良さを感じながら、私は尚もゲームに集中する。
ゲームに飽きた頃、創作意欲にかられてパソコンとメインに絡む事にする。細かな設定を決め、真面なプロットすら作らずに冒頭を書き出していく。ペンネームと題名を綴るのを忘れずに、段落や三点リーダーに気を配りながら、暫く無心で文字を打ち続けた。頭と指が動かなくなるまで、ずっと……。

夕食は予定していたメニューを少し変えてみた。メインは変わらないが、豪雨への疲弊から、今自分が本当に食べたい物に甘える事にしたかった。好物ばかりが並んだ豪勢な食卓に目を輝かせつつ、好きな動画を見ながら食事を楽しむ。たっぷりと時間が余ったので、気分が上がってやり溜めていた事を実行するなど。
雨が漸く止んだ後、ふと喉が渇いてコンビニへ行こうかと恐る恐る外に出てみた。あれだけ大地に降り注いだ雨はすっかりどこかへと消え去り、辺りにはペトリコールが充満していて、空は鈍色に濁っていた。星など一つも見えないし、ぼんやりと住宅の灯りがぽつぽつ見えるばかり。ひんやりと少し湿った空気に肌を撫でられながら、施錠して歩き出す。ごつごつとしたコンクリートの道を真新しい靴で踏みしめながら、私は真夜中のコンビニへと吸い込まれた。
コンビニを出て、ふとまた空を見上げる。先程と何も変わっていない。音の脅威が去り切った静かな夜は、夥しい蛙達の鳴き声だけを許している。けれどもあの空に月は見えなかった。雨を降らし切ったはずの分厚い雲の群れが、眩いはずの月を隠しているらしい。ただでさえ一日中濁り切っていた私の心に、より一層色の無い雲が重なる。
いつもは少しばかり鬱陶しい白銀が、このときはやけに恋しく思えた。

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