2023.10.28(焦りの言葉)

焦っても無駄なのに、一人で焦っているときがある。遅れそうなときとか。相手には連絡を入れているにもかかわらず、一秒でも早くと一人で焦って余計に道に迷って時間がかかってしまったり。何だろう、この焦り。相手を待たせてしまっているときは当然だとしても、それ以外のときでも一人で焦って勝手にテンパって余計に手間を増やしていることがある。いや、これ何の申告? 書き始めてから着地点がわからんと自分でツッコんでしまった。おそらく、焦らなくてもいいときに一人で焦ってしまうのをやめたいということが言いたかったのだろうと思う。でもそれは本当そう。勝手に焦って自分を追い詰めている。「早くせねば」「うまくやらねば」「失敗してはならない」とか。そんな何もかも完璧にできる人なんて少ないだろうに、何を目標にしようとしているんだと自分にツッコんでしまう。ただ、そんなことが思い浮かぶということは、自分をそういった言葉で追い詰める人物が自分の中に存在しているからだろう。面倒臭い。これはつまり、昔親に言われたことを自分の中に取り込んで無限ループしているやつだね。うん、面倒臭い。子どもの頃、親に言うことは正しいのだと勘違いして自分の中に取り入れてしまったんだね。相手は親で、私はまだ子どもだったし。そうやって自分の中に迎え入れてしまった親の言葉を、ずっと自分の中に留めてきてしまった。確かに、早くすることやうまくやること、失敗しなことは正しく思える。本当にそれができるのならばそれでいい。ただ、そうできない場合はどうする? 自分を追い詰めて焦らせ自分のエネルギーを削っていく。それでは何の解決もしないのに、いつまで無意味な親発信の言葉を自分に浴びせ続けるのだろうか? そもそも、それらの言葉を自分に浴びせ続けるメリットって何? 何より、そういった言葉が存在することで、うまくいかなかったときに自分はダメだと自分を追い込んでしまう方が問題。そんなことをしても何も解決しないのに。

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