見出し画像

[55本目]なぜ京都の大学に行ったのか

結論から書くと、それは当時付き合っていた一学年下の彼女が、京都の大学に進学すると言ったからだ。冷静に考えるとどう考えてもおかしいけど、あの当時に自分ができる事は彼女より一年先に京都に行く、その選択しか考えられなかった。若いなぁ若すぎるなぁ、もっと直接的に言えば、単純にバカだよねーー。

正直、大学のことは何も考えていなかった。そんなことがなければ深いことは考えず、愛知県内の大学に進学していたと思う。が、いや、しかし、あんなことになるともはや京都の大学に進学することしか考えられなかった。でも単純に京都の大学に進学をする訳にはいかない、当たり前だけどちゃんと自分の中で京都の大学に進学する理由がなければならない。

元々、大学は情報系の学科に進もうと考えていた。だからこそ、京都で自分が学べるような大学を探し、その結果、幾つかの大学が候補に挙がった。確か、最初にピックアップしたのは京都工芸繊維大学。え?こうげい、せんい?みたいな感じだけど、なんか情報に関わる学科があったんだよね。まあ、工繊って国立大学で、理系3教科はともかく今はなきセンター試験5教科をクリアできる学力はなくて、あ、理系2教科だったら偏差値的に70に近づけたけど、5教科だと50も超えられないみたいな典型的な理系だったから、、、。なんか、いかにも京都っぽくて楽しそうだなぁとか思ってたんだけどねぇ。ちなみに、工芸繊維大学についてはもうちょっと未来に色々関わりが出てきたりするんだけど、それはまた別の話。

で、次に狙ったのはドンピシャの龍谷大学理工学部。この時点でキャンパスは京都ではなく、滋賀県の瀬田だったけど、そもそも京都の大学だし瀬田なんて京都のすぐ隣だからねと。というわけで、早速推薦入試を受けてみたけど、、、結果は不合格。まあ、かなり難しいヤツだったんだよね、この龍谷の推薦って。ちゃんと理解をしてなかったのが全てだったなぁ。

でもね、この龍谷の不合格で完全にスイッチが入った。本命だった立命館大学、仲のよい先輩が通っていた関西大学、地元名門の南山大学、元々受けようと思っていた金沢工業大学に静岡理工科大学、全部受かった。ぶっちゃけ、立命は無理だと思っていたけど、龍谷に落ちて信じられないくらいの精神力で受験勉強をし、試験が終わった瞬間に受かったって分かってた。

ホントに受かったって感覚があったから、わざわざ大学まで合格発表を見にに行った。まあ、合格発表の時間を間違っていて、大学に着いたら合格した番号が掲示されている場所には誰もいなかったけど、、、。

実は立命館大学の理工学部は、入学した翌年からは滋賀県草津市に琵琶湖草津キャンパス、略してBKCに移転することが決まっていた。つまり、1年だけ京都の衣笠キャンパスに通うことになるわけだけど、最初から4年間京都に住もうと考えていた。初めての一人暮らしは、大学のキャンパスからほど近い竜安寺商店街にあった6畳風呂無し共同トイレ流しというぼろアパートで、家賃はなんと2万円。ただでさえ私立大学で学費がかかることもあり、必要最低限の住環境だったけど一人暮らしのわくわく感の方が強かったな。

というわけで、大学時代の話も色々続く予定。

[59本目]そして、京都の大学に行ったものの】に続く

このお金は全額球磨焼酎購入に使われます。ガンバレ、球磨地方!