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[2本目]3:33どうにもならない時間に目覚める

いや、目が覚めたのは3時過ぎなんだけど、どうにも寝れない。時計を見たら3:33だったからnoteを書いてみる。

コロナ禍以降、自宅勤務が中心で先週までは週1回程度しか下北沢にある事務所には行かない生活になっていた。平日はほぼ毎日行ってたけど、こうやって行く頻度が減ると下北沢という街に対するワクワクがめっちゃ復活してることに気がつく。1週間もあれば新しいお店がオープンしていたり、逆になくなっていたりする。相変わらず新陳代謝の早い街だなぁ。シフォンケーキの専門店がどうして下北沢にできるのかさっぱり分からないけど、、、。

そして突然[1本目]の続き。

で、気になるバンドのCDを聞いていたら、どうしても実際に生で聞いてみたくなった。大学時代は演劇ばかり観ていて(撮影していて)、ライブハウスはあまり行ったことがなかったけど、とりあえず行ってみることにした。東京で初めて入ったライブハウスは新宿Loft、今の歌舞伎町じゃなくて西口にあったんだよな。昼のイベントでお客さんなんて全然いなかった。というか、西口時代のLoftはめっちゃヤバい印象が残ってる、結局その1回しか西口のLoftには行かなかったけど(1999/3/17に退去して、4/1に今の場所に移転)。で、次に行ったのが新宿JAM、さらにヤバい場所だった、エグかった、、、階段でつぶれてる人とか普通にいたし、フロアは暗すぎて色々なところにぶつかったことがやけに印象的。しかもほぼ満員で、人が人の上を泳いでくるようなライブだったし。

まあ、今考えるとめっちゃアンダーグラウンドなライブだったのに、結構楽しんでたなぁ。若かったなぁ。で、相変わらずブラックな仕事は続いていて、CDを買いまくる生活が続いていたけど、あるバンドに出会って下北沢のライブハウスに行くことになる。確か最初に入ったライブハウスはCLUB Que、新宿の二つのライブハウスに比べれば街中にあって雰囲気的には明るい。でもって、最初にはまってたバンドはアンダーグランド系のテクノポップだったけど、このときは一世を風靡していた渋谷系で、ライブ自体もお客さんも明るい感じだった。

音楽という視点で下北沢を見ると、あの頃から聖地だった。いや、今より聖地だったのかもしれない。南口商店街を歩いてレコファンに入る、一通りCDを見て無料で配ってるポスターをチェックして、お店を反対側に抜けると左方向へ。スペースシャワーブランチのビルの地下に降りてハイラインレコーズへ。なんか、150円のデモカセットとかリリース情報とかチェックしたりしてたなぁ。まあ、レコファンはABC Martになってるし、スペースシャワーブランチはGOPALになったのち不動産会社になり、ハイラインレコーズは居酒屋のごえんになっちゃってるけどね。やっぱ、あの頃の方が聖地だったなぁ。

で、そのバンドの所属してるレーベル全体が好きになっちゃって、下北沢と渋谷のライブハウスを行き来する事が増えた。アーティストが回すからって、渋谷の超小箱のクラブにもよく行ってた。あれ、今考えるとめっちゃ癒やしだったんだろうな。仕事は相変わらず超ブラックで家にほとんど帰れなかったし(会社に年間200泊してた)、ライブハウスに行って会社に戻って仕事とかザラだったし。ベンチャー企業で勤務体系がゆるかったから、ライブハウスに3時間行くとか全然ありだったのがよかった。あの時間帯は会社に人が多くて集中できなかったけど、ライブ行って帰ってくると数人しか残ってなくて集中できたから。

下北沢と渋谷、この二つの街には音楽がきっかけでよく行くようになったけど、結局自分には渋谷より下北沢の方が合うなぁとかなり早いタイミングで気がついていた。街がコンパクトで、今よりさらにバラエティ豊かなお店が建ち並んでいたから。飲み屋さんも色々開拓して、行きつけ的なお店があったのも大きい。そして、何よりも人だよな、下北沢で飲食店をやってる人っておしゃべり好きが多くていい意味で変な人ばっかだった。さらにはお客さんも同じような感じで初対面なのにお店で意気投合して、一緒に次のお店に行くとか、酔っ払いすぎて口論になって路上で喧嘩するとか普通にあった。こわいなぁ、今からじゃ考えられないよ。カウンターでミュージシャンと役者が殴り合ってるとか、ホントにあった時代だから。今はそんなの見なくなったなぁ、、、いや、一部のディープスポットでは健在だけど。

げ、もう、1800文字も書いてるじゃないか。眠気が完全に吹き飛んでしまったけど、とりあえず今回はこのくらいで。どう考えても次回以降に続きます。ホント、おっさんって昔話が好きね。

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