見出し画像

「怒られる から やらない」からの脱出

自分が何かをためらうとき、他人の視線や言葉が多かったように思います。

これをやると怒られるから、やらない。
何か言われると嫌だから、やめておこう。

怒られる、だけじゃなくて「笑われる」ということもあります。


怒られる から やらない

これで、結果として「やるべきことをやらなくて怒られる」なんてことも起きたりします。
難しいなぁ。どちらにしても怒られる。

そう、どちらにしても怒られる。笑われる。
実際にそうされなくても、自分の中にある「他者の視線」がそんな風に見てくる。
調子が悪くなると、実際の声のように思えてくることもある。

「こう思われるかも」という思いにリアリティが乗る、
他者の声色や他者目線でのセリフになる、
そういうことがあります。

統合失調症とはそういう疾患だと思うので、仕方ないと思います。
「これは自分の妄想、思い込みだ」という是正もできていると思うし。


「怒られる」「笑われる」という予期・妄想が自分の中にあり、
それでも、何かを「やる」というのはなかなかにしんどいことです。

しかし、「やったら怒られること」と「やらなければならないこと」は別次元の事だという思いが最近出てきました。

そりゃあ怒られるかもしれない、しかし、それはそれとしてこれをやらないと先へ進めない。あるいは職業的使命を果たすことができない。あるいは将来より大きな問題へと発展してします。

そういうことを考えるようになり、少しずつやらなければならないことができるようになってきました。もちろんまだまだですけど。

不思議なもので、実際にやってみるとそれほど大きな怒られになるということも無かったりします。
いや、もちろん全力の速球を投げたら全力で打ち返されて場外ホームランを食らうような怒られを身に受けることもあるのですが、それもまぁそれとして。


やらなければならない、は仕事とか倫理の理由として。
怒られる怖さ、は自分個人の理由として。

それぞれある。
仕事として、やらなければならないことは、やる。
そうすることが期待されている、なんて思いを抱くようになりました。
何とかやり過ごして給料がもらえればいい、と思っていたころもあったのですが、そこからは一歩前に進んだような気がします。

一方で、怖さを乗り越えた、あるいは実際にダメージを受けた自分の心身をケアすることだってとても重要な課題になるわけです。
人に相談したり、書き出したり、他のことをしてリラックスしたり。
これもまた、仕事ですべきこととは別次元の話。
仕事がうまくいこうといくまいと、セルフケアは十分に行いたい。行うべき、というよりは、行った方が自分が楽だと思うので、行いたい。

実際はケースバイケースで「やらかしたことを二度と起こさないように振り返る」ことが必要だったり、「相手の方が間違っているのでうまく自分の考えを伝える」ことが必要だったりすると思います。いずれもままならないなぁ、人生と言うものは大変だ。
それでも日々、やっていくしかないですね。

「自分の行動の振り返り方」「相手への伝え方」どちらもまた深く考えたいテーマです。
色々考えて深めていこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?