見出し画像

老いる親とどう向き合う?家族旅行で考えた

父と母
姉と姪
彼と私

霞ヶ浦で遊覧船に乗ってみた。

父「おい、ここは海なのか?」
私「父ちゃん、ここは日本で2番目に大きな湖だよ」

姉「袖ヶ浦って初めて来たよ」
私「んー、霞ヶ浦ね」

姪「あ!魚がいた!」
私「きー!見逃した!」

彼「2階の方がよく見えるよ」
私「父ちゃん母ちゃん2階いくかい?」

よろよろと一階のデッキに来て柱にしがみつく父
「…2階は無理だな」

「私はここで座ってる」と
行き交うボートに静かに手を振る母。

自由な家族。
1人であくせくしてる自分って何だ?

今回の旅を通じて、いろいろと思うことがあり、
親の老いについて焦点を当てて考えてみた。

父と母の気持ちの逆転について


親は老いて移動がつらくなっている。
今回の旅では歩くことだけでなく、
車の乗り降りもつらそうだった。

両親ともに足が弱っているが、
今回の旅で気持ちの持ち方の違いを感じさせられた。

父は老いてから、あちこちに行きたがるようになった。
最近はスマホが欲しい!と好奇心が爆発。
日々スマホを触ってあーでもないこーでもないと言っている。

父は若い頃は仕事人間。週末は接待ゴルフで外出しているか、飲み会や徹夜マージャンの二日酔いで寝ていることが多かった。
そんな仕事が人生だった人が、老いてからやりたいことを少しずつ始めている。

母は老いるほど外に出るのを拒むようになった。
昔は登山、マラソン、友達とのランチ会など、頻繁に出掛けていた。
1人で幾度も尾瀬にも行っていた。
今でも実家には登山で使っていたシングルバーナーなどのグッズが残っている。

そんな外への興味が尽きなかった人が、老いることによって、やりたいことに対して、できることが追いつかないことに気がついた(ように感じる)。

外に出るたびに、その差が広がっていることを痛感し、結果、やりたいことをあきらめてしまっている(ように見える)。

そんな母を見るのがつらく、
家から足が遠のいている自分もいる。

でも…。
今回の旅は母が
「姉と姪が来るからみんなでどっか行こう」と立案したから実現できた。

母の根底にある「楽しみたい」という気持ちは
枯れることなく静かに湧き出ている。

古墳も見てきた

「無理」最強説


やりたいのにできない・・・これは
メンタル的にかなりつらいだろう。
私も病気を長くしていた(いる)ので、
気持ちと体のバランスが崩れることのもどかしさ、
そのストレスの大きさは知っている。

ただ、私は若い頃から病んでいるので、
若さゆえの体力のおかげで、何とかここまで復活できた。

年を重ねると、誰でも回復に時間がかかる。
これも自分の体で実証済み。
83歳の母にとって「回復できないかもしれない」
という不安もあるだろう。

以前、母に歩くことについて聞いてみたことがある。
私「お母さん、もっと歩きたい?」
母「もちろん、歩きたい」
私「ちょっと外に出て散歩をしてみない?」
母「家事をやるだけで精一杯だから無理」
私「買い物は行っているの?」
母「荷物が持てないから無理。お父さんに買い物はお願いしている」
私「近くの公民館で体操教室をやっているよ」
母「無理無理。知らない人と関わりたくないから行きたくない」
私「私も一緒に行くから、嫌だったら行かなくていいから、1回だけ行ってみない?」
母 黙って首を横に振る。こうなると会話終了のサイン。

という状況なのである。

83歳の母の心境を整理してみる(私の推測だけれど)
・歩くのはしんどいけれど、外出したい。
・外出すると楽しいけれど、思うように歩けなくてつらい。
・歩けないからみんなに迷惑をかける。
・できない自分を他者にみられるのがつらい。
・だから外出したくない

なんとも言い難い、もどかしい負のループ。
いったいどうすれば、正のループに変換できるのだろうか。
手を変え品を変え、母にいろいろ提案するも、
「私はもう歩けないから無理よ、つらいから無理無理」
と、無理を連呼される。
無理という言葉で自分を納得させているようにも感じる。

もちろん、母に無理はしてほしくないし、無理やり歩いてもらうのも違う。
母の気持ちを尊重することが何よりも大事。それはわかっている。

対照的な親にどう向き合うか。

好奇心が爆発中の父と、無理連呼中の母。
対照的な二人。
どちらも正解でもないし、間違いでもない。

対照的な親に対して、私はどう向き合えばいいのか。
正直、今はどうすればいいのかわからない。

「両親ともに健在。それで十分だよ。
とても幸せなことだよ」
とパートナーに言われた。
彼は両親ともに亡くしている。

確かにそうだ。
対照的は二人なのだから、そこを活かして、
お互いにできることをすればいいのだ。
買い物は父、家のことは母。
そういう役割が二人の間でできているのだから、それで十分だ。
しかもその役割を二人とも嫌がっていない。それが素晴らしい。


むしろ、変えられるのは自分の気持ちだ。
私は若いころの両親(特に外出好きだった母)に
戻そうとしているのではないか。

老いていく姿を見たくない。
しっかりとした親でいてほしい。

でも待てよ、私も年を重ねていて、
体力の回復に時間がかかることも体験済みじゃないか。
20代のころの体力に戻そうとしているか?
そのやる気は自分にあるのか?
…うーん、戻したいけど、戻せるのかがわからないし。
やる気があるのかも微妙である。
運動しなさいって周りに言われてするか?
いや、しないな、していないじゃないか。

それなのに、親に若いころに戻ってほしいなんて
それこそ「無理」なお話なのだ。

自分ができていないことを忘れてはいけない。
そんな当たり前のことに気づいた親子旅だった。
旅は面白い。

さて、少し散歩してこようかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?