見出し画像

hello! 夢kerAkko☆です

32歳で遅延型食物アレルギーになったわたしが、

まえより健康になった10年間のはなし。

今回も、わたしが遅延型アレルギーと気づく前の話。前兆編、part2

note ノート 記事見出し画像 アイキャッチ (10)

昨日は、ここまででした。

今日は、《わたしがなぜこれらの乳製品や小麦を、過剰に取り入れていたか》という話。

理由は国際協力に行く試験に合格したかった

からです。BMIの数値が低すぎる人は試験に通らない。つまりやせ型ではダメだということです。そのころ、わたしは一度試験に挑戦し落ちていました。その理由も痩せ体質であるということでした。(あくまでわたしの場合です)

もともと痩せ体質だったわたしは、どうしても体重増加をして体力をつけたかった=試験に合格したかったのです。

日本にいたり、和食ではやせ体質でも、私の体質は洋食では太ることを知っていました。なぜならこれまで短期間海外で生活しただけで、すぐに5-10キロ軽く体重変化があったから。

痛みが出る数年前+出たころは、わたしは毎日同じ食品を食べていました。もともと和食中心だったのですが、このころは、フレンチ・イタリアンなどの洋食を好んで取り入れていました。パン・パスタ・グラタン・ガレット・キッシュ・クロックムッシュ。

牛乳を飲み、野菜やスープにもとろけるタイプのチーズをのせて、とにかくカロリーをあげることに専念していました。もともとの無類のパン好きで、引っ越したエリアが有名なパン店が軒並み連ねるパン屋街だったのもあり、主食はパンでした。一日の白米はランチに少しのみでした。

もちろん、カロリーだけでなく、夜はジムに通い、水泳・筋トレ・ランニング、パスするために全力をかけていました。

・・・・・・・・

後々考えると本当にばかなのですが、目標ができると突き進むタイプ。

馬鹿の一つ覚えのように、これらを食べ続け、そんな生活をしていました。


しかしながら、体力が上がるどころか、このころは、少し歩いても息が切れるほど・・・

体力がないというより、体力を奪われる感じでした。

それから次第に、頭痛・胸の痛みなどなどの症状にも悩ませました。

その中でも一番、今思うと、「そうだったのか・・・」と思う大きな変化があります。

続きは、また明日。

・・・・・・・・

最後まで読んでいただきありがとうございました。

夢kerAkko☆


生きるために、食べられるものを食べる。 食の大切さを身をもって感じた私が書く記事があなたにとって 参考になった!試してみたい!それ、共感!いいね! と思われた方、ぜひサポートお願い致します。励みになります これからも夢に向かって歩き、役立つ記事をお届けできるよう創作を続けます☆