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「サッカー」とは何か(林舞輝氏)、を読んで

今日は育成・組織マネジメントについてインスピレーションをもらえるサッカーについての本を読んだので、それについて。

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知人に2020年9月頃、ふと「サッカー」とは何かという哲学的なタイトルの本を紹介され、即購入した。パラパラと目を通してみると、何やら、バルセロナやモウリーニョの強さを支えた、欧州の二大トレーニング手法を紹介している本だった。

そもそも、強豪チームや優秀な監督のトレーニングの考え方が紹介されているだけでなく、出てくるワードが「学習」「構造主義」「認知」などであったことも、個人的な興味を誘った。

サッカーの本なのだが、サッカーの本のようには見えないのだ。もう少し領域の広い、学習や組織運営、育成全般のインスピレーションを得られる気がした。

購入してから2ヶ月が経ち、改めて、この本を開いた。一体何が書いてあって、何に興味をそそられたのかをまとめてみたので、このnoteを一読いただけると嬉しい。

ちなみに、この本を再度開くきっかけになったのは、子育てや、組織マネジメントの中での育成について調べている中で、サッカーの育成にたどり着いたことだった。サッカーの指導者にも、特に「育成」に長けている方々(当然に結果も出していらっしゃるのだが)がいらっしゃって、その指導者の取り組みについて調べてみるのも非常に面白い。(敬称略)ビエルサ、風間八宏、青森山田高校の黒田剛、ミシャ、ネルシーニョなど

まとめ

「サッカー」とは何か、を読んで、興味深いと感じたことを冒頭にまとめてみた。

この本で紹介されている、戦術的ピリオダイゼーション、構造化トレーニングという二大トレーニング手法の成り立ちやそのものの内容も興味深い。そして、さらに興味深さを呼ぶのは、双方の比較から抽出できる共通点やそれぞれの特徴や、個人的な好みの問題のように思う。

二大トレーニングの比較概要

戦術的ピリオダイゼーション(以下、戦ピリ)と構造化トレーニングの理解を深めるために、双方の比較を行った。

まず、この本のタイトルにもなっている「サッカーとは」という問いに対しては、実は、この二つのトレーニング手法は大きくずれた答えではないように見えた。下図(中央オレンジ)のような、二点「1. 複雑性/カオスなスポーツで断続的な意思決定が必要」「2.長いシーズンを戦い抜くことが必要(ピークは一時点ではない)」である。特にこのnoteではno.1に着目したい。

そして、ここから二つのトレーニング手法がアプローチとして、大きく異なるポイントになる。

断続的な意思決定が必要だから、戦ピリは「チームとして同じ意思決定(戦術)を瞬時に行えることが重要」と捉え、構造化トレーニングは「個人の認知力を鍛える(自己構造化)ことが重要」と捉えた。

このような、サッカーそのものの定義に大きな違いはないが、ゲームで勝つためのアプローチの違いが、トレーニング設計の思想に落ちてくる。定義に大きな違いはないため、共通する部分もあれば、そもそものアプローチが異なるために、特徴的に見えてくる部分も出てくるのだ。

戦ピリの(戦術の)と構造化トレーニングの基本コンセプト

改めて、まず、戦ピリの基本コンセプトに触れてみる。発想の起点はチームであり、それを表現するものが、ゲームモデルやプレイ原則という地図もしくは行動規範である。

次に、構造化トレーニングの基本コンセプトに触れる。こちらの発想の起点は選手個人である。選手個人を捉えたときに、8つの構造でできていると捉え、特に認知、コーディネーション及コンディショニングという構造が重要だとのことである。

個人的には、この「認知」という言葉がとても興味深い。話は少し逸れるが、以前、まとめた「嫌われる勇気(アドラー心理学)」の前提にある目的論の領域は「認知」に関する記載である(と思う)。

各トレーニングの法則・条件の共通点や特徴

それぞれのアプローチ(発想の起点)を持ち、トレーニングを設計するに際しての法則や条件を定めている。どれも興味深いもので、さらに理解を深めるために、これらを並べたときの共通点や特徴について触れてみたい。

2つの共通点

まず、共通点は二つで、一つが「サッカーに特化したトレーニングを設計すること」である。これは、それぞれで、どの段階で言及するかの違いはあるが、戦ピリはトレーニング法則の中で「サッカーのフラクタル性」に触れている。要は、サッカーを要素分解(パス、ラン、シュートなど)に分解して、統合したところでサッカーになならない。サッカーはサッカーとして捉えるべきだというものだ。

これについては、構造化トレーニングは、そもそもの世界観として、名称通り、「構造(全体)」として、捉えるべきで、戦ピリと同様に「サッカー」に特化したトレーニングをすべしと考えているようだ。

二つ目には、トレーニングを学習のプロセスとして捉えるという共通点をあげたい。戦ピリにおいては、サッカーの学習は複雑系であり、そのための刺激は多様なものを与える必要がある。この特に複雑系(バタフライ効果のようなものという言い方は正しいだろうか)という捉え方はプロセスに着目しているものと言える。

また、構造化トレーニングはトレーニングの条件にそのものずばり「プロセス」性があることを書いており、異なる言葉で言えば、ストーリー性のあるトレーニングと言えるかもしれない。

それぞれの特徴

それぞれの特徴は、発想の起点によるものになる。すなわち、戦ピリはチーム目線であるため、ゲームモデルありきのトレーニング設計であり、構造化トレーニングは選手個人目線であるため、個人個人の個別性に基づいたトレーニング設計を重視しているように見える。

会社活動とサッカーのトレーニング

このように戦ピリと構造化トレーニングを比較していると、ふと、会社活動における対比を連想した。(この本を読んでいて、常に、仕事の育成や組織運営に生かせないかと考えていたからかもしれない)

戦ピリはチームからサッカーを考え、構造化トレーニングは選手からサッカーを考える。これは検討の起点は外側からか、内側からかの違いで、終着地点はサッカーのトレーニングである。

同様に、経営戦略やプロダクト開発をする場面においても、もしかしたら全てのプロジェクトにおいても、同様の視点が存在する。経営戦略であれば、ポジショニング理論とケイパビリティ理論、プロダクト開発であれば、マーケットインとプロダクトアウトという考え方になる。

これから感じるのは、どちらがが絶対の正解であると言い切ることはできない。組織ごと、個人個人、場面場面で、その両面の視点を持ちながら、プロジェクトを設計し、遂行していくことが重要だということかもしれない。

さいごに

戦ピリと構造化トレーニングというサッカーの二大トレーニング手法そのものを知り、比較し、他の分野における似たような構造・対比に触れた。このことで、この本に書いてあることの理解も多少深まった気がする(し、これを読んでいただいた方の理解の助けにもなったら嬉しい)。

最後に、個人的な好みについて。

どうしても、個人のエンパワーメント、個性の発揮というテーマに寄り添いがちな私は、構造化トレーニングに興味がそそられるので、そんな同じような方がいらしたらと、過去に書いたnoteを貼り付けておきます。

一方で、偏りがちな観点・思考のバランスをとるためにも、戦ピリの考え方、視点を持つべきという学びもあるかもしれないですね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。そして、林さん、とても面白い本をありがとうございます!

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