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スキーの滑走とマインドフルネス瞑想

もう春直前ですが、皆さまはこの冬をどのように過ごされたでしょうか。

私は今年、例年以上にスキー場に通いました。数えてみたら、5回。そして、その余韻がまだ残っております。楽しかった、、スキー。

なぜ、こんなに楽しく感じたのか、ヒントは「自然」と「身体感覚」にありそうだと予感しながら、その予感を言葉にして並べてみました。

この余韻を忘れないために、そして、スキー愛好家の方、ヨギーやコーチに、スキーの楽しさを自然の風景、身体感覚、そしてマインドフルネス瞑想との共通点から書いてみますー。

稜線を眺め、山の息遣いを感じる

スキーをするときに最も好きな景色、心に残る景色は山頂から見る向かいの山々の稜線。

ほとんどのスキー場は、クアトロリフトに腰を下ろせば、そのゲレンデの山頂に辿り着くことができる。山頂に到着後、まさに滑走しようとするコースに向かう視線の先、自然と雪の白と木々の濃紺のコントラストが効いた山々が自然と目に入る。

その佇まい、山々と青空の境界線である長い稜線はとても美しい。

稜線を眺めている時に、ふと感じるのは、遠くに存在する山々を目だけでなく、耳だけでなく、身体全体で感じるような感覚だ。これは現場に身を置くことで得られるものだろう。

ちなみに、この稜線の美しさは、スキー場に向かう関越自動車道を車を走らせているときから気づけるが、山頂から見る稜線の姿は格別だ。中でも「あぁ」と心を踊らせる稜線は、北岳を含む南アルプスと畏怖の念を自然と湧き上がらせる八ヶ岳の二つが思い浮かぶ。

白と濃紺のコントラストを利かせる山々

滑走中の一連の身体感覚

そして、これから滑り降りようとするコースに意識を戻す。コースの勾配、コンディションを見ながら、落ちたい場所と自分の線を結ぶ。これをフォールラインを意識すると呼ぶそう。

ここからは滑走の最中の身体感覚について触れていく。

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滑り降りると静かに心を決めて、スキーの先、そして、身体を谷に放る。同時に左右の手を大きく広げ、肩の力を抜き、自然と足の不要な力も抜ける。重力に従い、最初のターンをするまでの瞬間は、少しの緊張とワクワクが混在する時間になる。

クアトロ・リフト w/キッズ

落ちたい先の場所を見ながら、間接視野で足元に迫る雪面の状況を把握する。両足裏に体重をしっかりと乗せると、スキー板が接している雪面がノーズからテールに流れていく感覚を感じることができる。

左にターンとき、右足の母指球と左足の小指付け根あたりに、ググッと体重を乗せ、脛がブーツに当たることも感じる。徐々にエッジが立ち、そのままカービングしていくことに委ねる。雪面から反動を感じて、スキーの板をフラットに戻し、束の間の直線を味わったら、切り返し、また逆に曲がる。それを雪面を感じながら、丁寧に繰り返していく。

そして、その繰り返しが終わり、リフト乗り場に到着する。心地よさが身体の中に残っていることが分かる。

こけた娘のところに滑っていくの図

マインドフルネス瞑想とスキー

スキーの楽しさを滑走中の身体感覚をなぞることで確かめてみた。目を瞑り、その一つ一つが鮮やかで、胸を躍らせる感覚だ。

ただ、書く前は分からず、書き終えた時に、わかったのは、スキーの滑走中の身体感覚がマインドフルネス瞑想の感覚に共通することだった。

マインドフルネス瞑想は、呼吸などの何か一点に意識を向け、雑念が湧いてくれば、それを手放し、流していく。

一方、スキーは、落下予定地点を見据え、雪面のコンディションに対応しながら、スキー板のノーズからテールに雪面を流していく。

なるほど、双方ともに、何か一点(呼吸または落下地点)に集中しながら、湧いてくる雑念(雪面)をひたすらに流していくという共通点がある。つまり、スキーをすることは瞑想することだった。

だから、スキーをするとあんなにも爽快ですっきりするのだろう、やっぱりなと確信してしまった。

おわりに

今年の冬は5回、ゲレンデに行った。スキー歴30年以上だが、最も楽しかったシーズンだったかもしれない。そして、スキーに関する目標がいくつも浮かんできてしまう今日この頃。スキーだけに関わらず、山の中、自然の中に入り、その感覚を磨き、仲間と共有し、何かを表現していきたい気持ちもある。

偉そうにスキーについて語ってしまったnoteを通じて、スキー愛好家の方にスキーの楽しさを、身体感覚を重視するヨギーやコーチとスキーの感覚を共有できていたら、嬉しいなと思っている。

夕方の南アルプス山脈


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