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「嫌われる勇気」から実存主義を追いかけて

哲学を学んでいます。とても面白いので、学びを深めるためにメモをしてみます。

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「嫌われる勇気」(アドラー心理学)を再読し、出口さんの「哲学と宗教全史」を開くと、いわゆる「実存主義」という考え方があることを知りました。

このnoteでは、嫌われる勇気をきっかけにたどり着いた実存主義の立場をとる哲学者と無意識の存在に触れたフロイトの衝撃、最後に自分がお気に入りの考えの哲学者を紹介してみます。

1. 嫌われる勇気(アドラー心理学)

哲学に興味を持ったきっかけは明らかに「嫌われる勇気」を再読したことです。2014年が初版のアドラー心理学を対話形式で、丁寧に説明してくれている本です。まとめてみました。(私の意訳も入っていると思います)

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全てが印象的な捉え方です。人生の目的は「幸せ」を感じることで、しかもそれをいまここで自分が決めることができること。自分の真の課題に取り組むことが、その「幸せ」を感じることへの道になること。

「個人および組織の創造性を回復するプログラムの種のメモ」で、このアドラー心理学について、少し書いてみています。

この主体性を発揮する、もしくは自分のミッションに自覚的になって暮らしをするというスタンスは、「ミッションを考える前に読むnote」でも触れたように、ネット時代だと可能性が広がるとともに、求められてくるものだと整理していました。

ミッションはそんなに堅苦しいものを想定しているというよりは、自分なりに物事へのポジションやスタンスを取るという意味合いと思います

2. 実存主義を主張する哲学者たち

そんな時、元ライフネット生命会長の出口さんの「哲学と宗教全史」を紐解き始め、パラパラと最初から最後まで読んでみました。

すると、上記の「ミッション」を考えるスタンスは「実存主義」とよく似ているなと感じるとともに、そして、哲学には色々な考えがあることを知りました。

ここで、実存主義の立場をとっている哲学者は複数人いるため、少し整理してみます。

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そもそも実存主義とは「実存主義は、普遍的・必然的な本質存在に相対する、個別的・偶然的な現実存在の優越を本来性として主張、もしくは優越となっている現実の世界を肯定してそれとのかかわりについて考察する思想である」とwikipediaに書いてあるが、本気で意味不明である。

NHKのページの「人間の本質はあらかじめ決められておらず、実存(現実に存在すること)が先行した存在(実存は本質に先立つ)である。だからこそ、人間は自ら世界を意味づけ行為を選び取り、自分自身で意味を生み出さなければならない」で、ぼんやりとわかってくる。(動画がわかりやすい)

つまり、自分自身で本質やミッションを選び取る自由があるし、生まれた時、存在する(実存)だけでは、それがないということを言っている。

この実存主義はサルトルから遡ると、ニーチェやキルケゴールなどがその文脈(というか実存主義の主張)にいる。もっと遡るとデカルトの「我思うゆえに我あり」も実存かと思ったのだが、実存主義者からはツッコミどころの多い考えらしい。

キルケゴールや主体的真理については、垂水さんのnoteや発信が参考になります。

3. フロイトの無意識がなぜ衝撃的なのか

フロイト(1856-1939)の人間が動かしているのは、脳の意識されている領域ではなく、無意識の領域ではないかという主張は、これまで、哲学者が理性・意識している領域で考えを重ねていたところからすると衝撃以外のなにものでもない。

ちなみに、このnoteのきっかけになっているアドラー(1870-1937)はフロイトと共同研究に参加した経験を有している人物です。

ただ、これは脳科学的にも主張されていることだそうで、心理学・行動経済学の世界でも、早い思考(システム1)と遅い思考(システム2)と整理されている。これは、4月に受けたコーチングのワークショップでも触れられていた。

この無意識やシステム1に働きかけるために重要なことが、「主体的真理(自分にとって大切なこと)」と繋がる「現状の外側に目標を立てる」ことなのではないかと思う。

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4. お気に入りの哲学者(言語学の祖・ソシュール)

これは、少しおまけ的な雰囲気がある気もするが、とても好きな哲学者が出口さんの本で紹介されていたので、触れておく。

ソシュール(1857-1913)は言語学の祖とか近代言語学の父と呼ばれ、主張を切り取ると以下のようになるとのこと。

世界に様々な実体があって、それに人が逐一名前をつけるのではなく、人が世界をどう区切るかで、事物についての認識が成立するのだ

これ、むちゃくちゃ面白くて、世界に境目なんてそもそもなくて、人が区切っているだけにすぎないというものだ。極端なことを言えば、陸と海というこの区切りですら、人がそう認識しているから区切られているように見えるだけにすぎないというもの。面白すぎるし、実際そうなんだろう。(アドラーの共同体感覚に繋がりそうな話だ)

かつ、この出口本(哲学と宗教全史)の冒頭で、言語が発達したのは、考えるためだ(コミュニケーションのためではない)という主張があるらしい(遺伝子研究でその根拠があるとのこと)。この話との整合性も感じる、ソシュールの主張はたまらない。

書きながら思い出したが、ヨガ的でもある。ヨガは「繋がり(つなぐ)」という意味を持っていると言われており、私個人の身体感覚だと、繋がりを作るというより、繋がりに気づくというものだからだ。(shapesという屋号のようなものもその文脈にある)

この話はウィトゲンシュタイン(1889-1951)の言語ゲームという物事の捉え方にも繋がるとのことだが、今回は割愛。

おわりに

出口さんの本を元に、自分の色々な気づきを書いてみた。自分自身のミッションや主体的真理と呼ばれるものは、令和時代には自覚的になる可能性と必要性の両方が存在する。

このためにはこの3本柱がとても重要だと思うので、自分自身で実践しながら、友人・知人を勇気付けることやチーム運営にも取り込んでいきたい。

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