おもいでー髪の毛は、呪文を唱えると切ってもらえると思ってた
髪を切ってもらうとき、いつも困ることがある。それは、どうやって理想の髪型を伝えるかだ。
写真を見せるのが手っ取り早いと、だれかから聞いたことがあるが、どうしても躊躇してしまう。
というのもやっぱり、「あっ、この髪型カッコいいな」と思う写真とは「かっこいいモデルさん」の写真。それをそこまでかっこよくない自分が美容師さんに見せる構図を想像するだけで、恐ろしくなってしまうからだ。
「今日はどんな感じにしますか?」
「えっと、こんなふうでお願いします」
「えっ、お客さんこれ...」
「えっ」
「これ、成田凌ですよ?」
「あっはい...」
「お客さんは成田凌ですか?」
「いや、ちがいますけど...」
「違いますよね、あなた美容院にどんな可能性を抱いてきてるんですか?
髪型を変えたくらいで成田凌になれるとでも思ったんですか?」
「あ、あのえっと...」
「いいかげんにしろ!!おまえはおまえ!!成田凌は成田凌!!根本的に違うって言ってんだよ!!身の丈をわきまえろバカ!バーーーーーカ!!うんこ!!!うんこうんこうんこ!!」
そう言って右手にドライヤー、左手ではさみをチョキチョキさせながら怒り狂い僕の座る椅子の周りをぐるぐる回りだすに違いない。違いないのだ。
だからできるだけ僕は言葉で伝えようとしている。しかしどうにも髪型というものに疎い僕は、どのように言えばうまく伝わるのかわからない。
そして度々、なんと伝えて良いのかもわからないまま美容院に行き、困惑してしまう。
しかしそんなとき僕は、母が小さいときに教えてくれたあの呪文を思い出すのだ。
ーー
初めて僕が一人で髪を切りに行くときに、母は床屋に入ったらどのようにするのかを隅々まで教えてくれた。
まず、お店に入ったら自分の名前を伝える。そして自分が呼ばれるまで静かに椅子に座って待っている。呼ばれたら、静かに椅子に座って髪を切ってもらう。終わったらちゃんとあいさつをする。最後に、お金を払ってお店から出る。
そこで僕は母に尋ねた。
「じゃあ髪をきってもらうときは、なんていったらいいの?」
「どんな髪型がいいの?」
「う~ん、わかんない」
すると母は、あの呪文を教えてくれた。
「特にこうしてほしい、っていうのがないなら、こういうのよ」
「刈り上げない程度に、短めに」
「カリアゲナイ...」
「刈り上げない程度に、短めにしてください、っていうの。言ってごらん」
「カリアゲナイテイドニ、ミジカメニ」
「そう。ちゃんと言えたね。もうひとりで髪切りにいける?」
「いける」
「よし!いってらっしゃい!」
カリアゲナイテイドニ、ミジカメニ。
他の工程はすんなり理解できたのだが、この言葉だけがにわかに信用できなかった。
本当にこれで髪を切ってもらえるのだろうか。
言われたとおり、ドキドキしながらも自分が呼ばれるのを椅子にすわって静かに待っていた。
そしてついにその時がきた。
美容師さんが僕に聞いたのだ。
「今日は、どんなふうにするのかな?」
「えっと...あ、あの」
「カリアゲナイテイドニ、ミジカメニ」
一瞬、静寂が訪れた。
本当に、これでいいのか...?
すると美容師さんがいった
「短くするのね!わかりました、お姉さんに任せて!」
えっ
すごい
通じた!
意味もわからず唱えたそれは、まさに呪文だった。
少年は見事、刈り上げない程度に短めの髪型を得たのだ。
この言葉を言うだけで、髪は切ってもらえる。
なんだ、髪きってもらうのって意外と簡単ジャ~ン★
初めて一人で髪を切りに行けたことで、なんだか自分がとても強くなった気がした。
カリアゲナイテイドニ、ミジカメニ。
そう口ずさみながら、僕は家に帰った。
ーー
それからというもの、僕はこの言葉を中学生になっても濫用し続けた。
言えば言うほど自信がつき、初期のころのぎこちなさは消え、より自然にこの言葉を口にするようになった。
「あ、今日の髪型っすか?ん~そうだな、じゃあ、刈り上げない程度に短めで★」
しかしそんなある日、事件が起こったのだ。
僕がいつものようにあの呪文を口にしたときだった。
いつも通りすんなり髪を切ってくれる。そう思い余裕綽々でいると、美容師さんが突然予想だにしない質問を投げかけてきた。
「横はどうしますか?」
ヨコ?
「耳は、だしたほうがいいですか?ださないほうがいいですか?」
「前髪は目にかからないくらいの長さでいいですか?」
な
なにをいってるんだこいつは
先程までの自信が音を立てて崩れ、みるみるうちに萎縮してしまった。
耳はだすべきなのか?出さないべきなのか?
そんなこといままで一度も考えたことがなかった。
迫りくる二択。しかしどうにも結論が出ない。
「刈り上げない程度に短い」髪型の人というのは一体、何者なんだ
耳がでているのか出ていないのか、皆目見当がつかない。
不安にかられ、目は潤み、今にも漏らしそうな青年をみて美容師さんは言った。
「...えーっと、じゃあ耳は出しときましょうか?」
「えっ!あっ、えっと...じゃあはいあの...そんな...かんじで」
半ば誘導尋問のような形でその日の髪型が決まった。
僕は放心状態だった。
なんなんだこいつは...
わけわかんねえことばっかり聞いてきやがって...
そして、いつものようにチョキチョキ髪を切ったあと出来上がったそれは、なんとも言えない出来だった。
美容師さんは三枚おりの鏡を持ってきて、「どうですか?」とドヤ顔しながら隅々まで見せてくれた。
どうもこうも
「刈り上げない程度に短くて耳がでている」以外の感想がない
「あ、そうっすね」
適当な返事で流しておいた
床屋から帰る道の途中、いままで無批判にあの呪文を唱え続けていた日々のことを思い返した。
そういえば、同じことを言っているわりに毎回「刈り上げない程度に短め」な髪型は違った。
そもそも、「刈り上げない程度に短め」とはなんなのか全く意味がわかっていなかったのだ。
だれみたいな髪型?芸能人でいうとだれ?刈り上げない程度に短くしてる芸能人ってだあれ?
よくよく考えてみると、「坊主じゃなかったら髪さえ切ってくれればなんでもいい」くらいの適当な意味でしかないのだ。
だから、髪を切り終わったあとで、今日はよかったなと思う日があっても、もうその髪型を二度と再現することはできない。
「刈り上げない程度に短め」とは、切ってもらうまでどうなるかわからない呪文だったのだ。まさしくパルプンテ
すっかり自信をなくしてしまった僕は、二度とあの言葉を口にすることはなかった。
ーー
あの呪文を使わなくなって以来、未だに自分の理想の髪型をうまく言葉にできないでいる。
だけど僕なりにいろいろと努力を積み重ねてきた。
失敗はしたくない。
もう二度と、あのときのような過ちを犯すわけにはいかないのだ。
そうして今日も、僕は美容室であの質問を受ける。
「今日はどうします?」
「ん~そうだな、
じゃあ今日は、
おまかせで★」
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