ふるさと_4

やりたいことくらい好き勝手させろバ~~~~~~カ!!!

2018年も残すところわずかとなりました。振り返ればこのnote、今年に入ってから習慣作りのためにとはじめたのですが、更新しようしよう!!と思いながらも全然更新できず、途中まで書いて(飽きて)「つづく」と書いた記事は全て未完、読者の時間をとことん無駄にしてきました。


こんなにも自分は継続する力がないのかと肩を落としながら久々にnoteを開くと、

下書きの数をみてびっくりしました。


73


意外と書いてる、、、

公開せずとも、書き溜めていた記事がこんなにもあったのです。
しかしどの記事を見ても、肝心のオチが書けていたり、ざっくりとしたアウトラインしか書いていなかったり、「つづく」で終わっている記事ばかり。

今更続きを書く気にもなれないし、かといって結構な量書いてるのに公開できないのも勿体無いな、、、


そう思いながらドトールでストローを噛んでいるそのときでした。


えっ!なにこれ!

ぼくだけのためにあるようなこのお題!

しかも「熟成した下書きから力作の完全版をつくるもよし、下書きの上にひとことコメントを加えてそのまま公開するもよし、です。」!?


つまり未完の作品でもこの場をかりて公開できるってことぢゃん★(?)


ということでこれを機に、ぼくがいつだか酔っ払いながら書きなぐった以下の記事を公開したいと思います。

先に言っておきます、続きはありません。
適当に読み、そのさきの展開を適当に補完し、なるほどこいつは適当なやつだと思ってください。



ーー


人がなにかやろうってときに、やる前からぎゃあぎゃあ喚くやつがいる。

「いや、それいまやること?」「つまんなそう」「えー、現実的に考えて無理だよ」「そんなのあたりまえじゃね?」「それ、もう○○で似たようなのがあるよ」





あ~~~~~~~~~~うるせえ~~~~!!!!

なんなんおまえ?いつやるとか関係あんの?やりたいって思ってるときにやればよくね?つまんないって何?現実って誰?似てたらやっちゃいけないの?WEARの上位コーデみたいな服着たおまえにだけは言われたくねえよ


しかしこういう大人がいる。


「いいと思う。」

「だけどやるからには、計画をしっかり立てて、失敗しないようにしたいよね」




「あっハイ、、、」


「計画、、、っすかぁ、、、」


「大事っすよね、計画、、、」


まてまてまてまてまてまてまてまて、やってもないのに「失敗しない計画」ってたてられる?無理ぢゃね?でなんなんこのドヤ顔きっしょ息くっさ

そこまで万全の準備ができてからじゃないとなんかしちゃいけないの?え~~~~~だっる、、、


なんかやる気なくなったわぁ、、、



ここで「本当にやる気のあるやつはそんなことでめげずにやってる」とかいうけれど、これが現実じゃないですか。

いや一般論かどうかはしらねえけど少なくとも僕はそうなんです。

めげずに成し遂げたらそれこそ美談だけど、僕はこのへんで心がポキポキ折れます。


どうしてでしょう。そして、これを克服するすべはないのでしょうか。



それを突き詰めるにあたって、ここでは「やりたいこと」の正体とは、そもそも何なのかを考えたいと思います。


「やりたいこと=できること」


「やりたい」とおもう要因は、ざっくり分けて2つあると思います。


一つは当たり前ですが、やりたいこととは、「利益が得られると思えること」。

たとえば「彼女をつくりたい」と思っている人は、「彼女がいれば、日常が楽しくなる」という利益をみているから。

「お金がほしい」と思っている人は、「お金があれば、もっと楽な生活ができるようになるのにな」と思うから。

逆に、例えばお金にも困っていなくて、日常にそもそも不満が無い人にとってみれば、「(自分がいま置かれている状況に比べて)ポジティブな結果が得られるとは"思えない"」から、やりたいことにはなりません。


そして、もう一つは、「その人自身が、"できる"と思えること」

これが案外大事なように思います。


たとえば彼女がほしいと思っているその男は、とてつもなくメンクイだったとしましょう。

顔さえよければなんでもいい。女性をなんだと思っているのでしょうか。

さて、かわいければカワイイほど良いと思っている、そんな彼ですが、「石原さとみ似の知り合い」のことが好きになっても、「石原さとみ」に恋はしません。

石原さとみが劣っているわけではありません。仮に二人が並べられて、「どちらでも好きな方を」とでも言われれば、彼はなんの迷いもなく石原さとみをとるのです。

彼は、こんなチャンスでもない限り、現実味のない二択で迷うことはない。そもそも彼にとって候補にすら入れていないことでしょう。

要するに、できないことは、仮に本人に自覚がなくとも、無意識下で候補から除外するのが人間なのです。

一方で、ある子どもは宇宙飛行士になりたいと思います。傍からみてそれがどんなに厳しい道のりでも、本人はそんなことを知らないわけだし、「できる」と信じてやまないからこそ彼の夢であり続けるのです。


「できないからやめる」のは怠惰だとか、根気が足りないとか言うけど、そもそも「やりたい」という気持ちを構成する要素として「できると思うこと」が含まれていると考えます。


つまるところ、何か始める前にいろいろ言われて心が折れるのは、そこに「うまくいかないかもしれない」という、盲目的だった側面を見せる力があるからだと思います。


こういう非難や助言はド正論なのかもしれない。

しかしこれに影響されていると、いつまでたってもなにもできません。


周りのこういう意見に影響されて「なにもできなくなる」ことを避けるには、自分のなかになにかしらの"信念"を作る必要があります。

そこで、次にどんな場合にもおそらく通づるであろう、一つの信念を打ち立てたいと思います。


つづく

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