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最短ルート

私は電車に乗ることが好き(景色を見るのが楽しいのです)なので、どこかに出かける時は、どうやって行くと一番早く着くか、を頭の中で考えるのが楽しみなのですが、目的地に到着するまでのルートに選択肢が多くある場合は、スマホの乗換案内アプリで最短ルートを調べて、その通りに移動することが増えました。自分では考えつかなかったルートを紹介されたりすると、自分の知識が追いついていないことにちょっと悔しい思いをします…。

先日例によってラジオを聴いていたら、夕方のニュース番組(テレビ)のメインキャスターを担当しているアナウンサーの方が出演なさっていて、今のお仕事にまつわる想いなどをしゃべり倒しているシーンに出くわしました。テレビで拝見するクールな姿からは想像できない熱いテンションでのトークだったので、少々びっくりしながら聴いたのですが、その中で「最近はどんな物事でも『最短ルート』を求められることが多いのですが、もっと回り道があっても良いと思う。ルートを外れることがよくないこと、とされる風潮も感じるが、ルートを外れることで得られることもたくさんある」というようなことを話されていました。

確かに世の中は効率化、合理化にどんどん向かっていますから、手のかかることや個別に対応が必要なことは、どんどんその方向から外れていくことになりますね。もちろん、効率化や合理化のおかげでさらに便利な生活を送ることができたり、他に使う時間が生まれたりと、恩恵をたくさん受けていますが、一方で個性がますます失われて行くことにもなります。商店街がなくなってコンビニばかりになる、というのもその一つの例かもしれません。

私自身の人生は、最短ルートからはほど遠い回り道を歩んでいますが、確かにこれまでの経験が、全然想像もつかないところで役に立つ、というのは、結構あるものです。サラリーマン時代のことが今の自分を助けてくれることがしょっちゅうあります。そう思うと、無駄なことなどないんだなあ、とつくづく思います。

ひまわり

昔は学校からの帰りに「道草を食う」なんてことが当たり前にありましたが、今はどうなんでしょう。学校終わったらすぐにお稽古や塾に一直線なのかな。大人も「寄り道」などと称してちょっとお食事したりすることがあります(いまはいろいろと注意しながらになりますね)が、「寄り道から駒」なんて言葉はありませんが、寄り道から仕事に発展するケースもありますし、こうした道草や寄り道が「のりしろ」となって、自分と相手をくっつけてくれることがよくあります。そう考えると寄り道も決して捨てたものではありませんね。

めんどくさい仕事を依頼されたときなど、「なんでこんな面倒なことを頼んできたのかなあ」と思いがちですが、将来の自分を助けてくれるかも、と思えば、少しは前向きにできるかも? 自分にムチを入れつつ、頑張りたいと思います。

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