【日記】こち亀と民俗誌 無職の眉毛はつながるか?
新潟県長岡市に生まれて数えて19になる歳までそこで育った。日曜日の19時から『サザエさん』と『ONE PIECE』『GTO』に挟まれる形で『こち亀』が放送されていた。大学進学をきっかけに神奈川県の藤沢市に移り住んで、就職をきっかけに練馬区の江古田、杉並区の高円寺と東京に暮らすことになった。『こち亀』の放送は終わり、下宿先にテレビは置かなかった。
大学では複数の研究会(ゼミ)に所属することができた。ひとつは、アイヌ語を中心とする人類学の研究会、もうひとつは、小説を執筆する研究会に所属した。卒業論文は、生まれ育った長岡での古老への聞き書きを行うという民俗学の領域に近いものを書いた。
そんな風に生きてきて、最近、「もし……」と考えることがあった。「もし、まっさらな中でもう一度研究生活を始められるなら」。そのように考えていくとふと思いつくことがある。
「東京の民俗誌」をやりたい!
それも、何か創作物をベースに、フィールドと行き来するなかでできあがる何かを見てみたい。
それと同時に学生時代に考えていたことを思い出す。『こち亀』は立派な民俗誌になり得るのではないか? 学部生の自分でも研究してみる価値のある題材ではないか? 関東圏に居住しながら、自分の住んでいる場所のことを殆ど何も知らないままでいいのか? ……そんな想いは、胸の片隅に投げ捨てられたまま随分と時が経ってしまった。
時間のできた今なら少しずつでも進められる題材ではないか、という想いが沸々とわき起こる。また、東京を離れたからこそ、その外縁から見える景色もあるのではないかと、そんな想いもまた見えてくる。だけど、大学院に入ってわざわざやることでもないし、そもそも修士課程に進学するお金もない。
就職してからの数年間、終電で家に帰り着くと、暗い部屋でコンビニの弁当を食べながら小さなスマホの画面で『こち亀』のアニメを何周も何周も見たものだ。特に両津勘吉の弟・両津金次郎の結婚式を取り扱った『#111 兄として…!』は何故だか特に好きで、何周見たかわからないほど見ている。こち亀を見ている時間は無心になることができた。どんな感情も隅に追いやることができ、無心のまま、笑ったり、泣いたりすることができた。
あの時、労働のどうしようもない重荷から救ってくれたもののひとつは間違いなく『こち亀』だった。労働から足を洗って、時間ができた。そうだ、まずは漫画を読んでみよう。実家に戻ると、飛び飛びで単行本が積まれている。1976年に連載が開始され、2016年に完結を見るまで実に201巻・全1960話を数える言わずと知れた長さを誇る。これを、1話1話しっかりと読んでみよう。「読みつつ」でなければ方向性も見えてはこないだろう。「読み終えて」からであれば中途半端な満足か、挫折の光景が見えてくるばありであろう。『こち亀』に何かしらのカタチで恩返しがしたい。そんな大袈裟な気持ちもわいてくる。
そんないくつかの想いや思いつきが重なって、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』通称こち亀の第1巻の第1ページを今めくり始めている。傍らには付箋が置かれ、右手にはメモ用の鉛筆がしっかりと握りしめられている。
そういえば今朝のこと、鏡を見ると眉間に産毛が薄らと生え始めていることに気がつく。無職は鏡を見る機会が少ないのだ。201巻を読み終える頃には、両さんのような立派なつながり眉毛の精悍な顔つきを、今日と同じ鏡の中に見ることができるだろうか?
終わり。