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「白杖」を持つようになるまでの葛藤物語

突然の「白杖で歩いてください」宣告

私は2018年秋に網膜色素変性症と診断を受けました。一通りの検査を終えて、最後にお医者様の診察。その時点で、自分自身が網膜色素変性症であると勘付いていたので驚きませんでしたが、お医者様が神妙な面持ちで、残念ですが、「網膜色素変性症という病気です」と伝えてくれました。最初に切り出された話は、「白杖」と「身体障害者手帳」の事。今すぐにでも持って欲しいけど、心の準備が必要だと思うから準備が出来たら取得しましょう!と告げられました。
その時、お医者様は白杖の必要性を熱心に私に説いてくれました。今まで普通に歩けていたと思うかもしれないけど、「白杖」を持つ事で、今まで気づけていなかった段差とかで怪我をするリスクが低減できること、そして、視野が狭くて周りの人にぶつかるって、揉め事に発展すると言った無用なトラブルが防げる。だから、1日も早く白杖を持って欲しいと説得をされました。
身体障害者手帳に関してはその前から聴力の悪化もあったので、検討をしていた段階だったので、特に抵抗がありませんでしたが、白杖を持って歩く自分がただただイメージ出来ませんでした。

調べれば調べるほど、悩みの深まる白杖ユーザーへの第一歩

網膜色素変性症についてある程度調べていた私は、その日から2週間ほど時間があれば白杖について調べるそんな日々を送りました。白杖を持って歩く自分をイメージすると気分が落ちますが、一方で、目に問題があると分かった以上、目が見えてなくて怪我をしたなんて事態は避けたいそんな心の葛藤がありました。何より運転が趣味だった当時の自分にとって、白杖を持つということは、運転を諦める事とほぼ等しく、心の葛藤は深まるばかりでした。

悩みが深まる中、私は同じ病気を持つ人が集まる患者団体に加入し、同じ病気を持つ人と交流をする事にしました。患者団体の中でも同年代が集まる忘年会に参加をするとそこには40人ほどが集まっていました。7割から8割の人が、盲導犬か白杖を持って行動をしていました。色々な人の話を聞いていると、参加者の多くは同じように白杖を持つ葛藤を経験して、今では身体の一部になっているという事を知り、こんな葛藤をしているのは自分だけではないと知りました。
そんな忘年会の夜を過ごした翌日、私は病院の先生に教えていただいた白杖の歩行訓練を提供している団体に電話をし、白杖歩行訓練の体験を申し込みました。

白杖を購入して臨んだ白杖歩行訓練

年が明けて2019年2月。歩行訓練体験の1週間前に別の視覚障害者団体に赴き、白杖を購入。かなり気合をいれて歩行訓練に臨みました。
歩行訓練当日。私の目の状態を説明した後、1時間ほどかけて街中を歩き、白杖の使い方を教わりました。杖と足を出すタイミング、階段の降り方。まっすぐ歩く方法、横断歩道の歩き方。白杖で歩いている恥ずかしさが先立ち、その時教わった事は杖と足を出すタイミングくらいしか記憶にありません。その他覚えている事と言えば、杖先はパームチップという杖先が網膜色素変性症の人には使いやすいと教わった事くらいです。
その時の恥ずかしいという気持ちが、持ってみようという気持ちを上回ってしまい、白杖に対して非常に後ろ向きな気持ちになってしまいました。

まずはカバンに入れてみる!

気持ちは後ろ向きになってしまいましたが、残念ながら病気の進行は私の気持ちとは関係なく進みます。特に、2019年は夜の場に仕事で出る事が多く、網膜色素変性症で夜盲症がある私は、夜の外出が億劫だと感じる場面に多く遭遇しました。
そんな時に、カナダの同じ網膜色素変性症のインフルエンサーの投稿を見かけました。白杖を持つ勇気がないのであれば、まずはカバンに入れてみよう!と呼びかけている投稿を見て、これなら出来るかもと思い、まずはカバンに入れる事から始めてみました。

それから、1ヶ月くらいして頃、食事の約束をしているレストランまでの道が暗くて怖い!と思う場面に遭遇しました。その時、勇気を出して白杖をカバンから出してみると、以前歩行訓練を受けた時の恥ずかしいの気持ちはすっかり消えていました。白杖を出した事によって段差で転けたり看板にぶつかったりしないという自信からか、倍速で歩いているような気分になりました(実際は歩く速度落ちているはず)。
この時の一種の気持ちよさがきっかけとなって、夜歩くときは白杖を出してみるようになりました。ここから私の白杖ライフが始まりました。
少しずつ白杖を持つ機会が広がり、1年半くらいの時間をかけて、「夜間だけ白杖」から「夜間と人混みで白杖」と使う機会を少しずつ増やしていきました。

本格的な歩行訓練を受けてみた

白杖を持ち始めてから1年半たった頃、既に取得していた聴覚障害での身体障害者手帳に加えて、視覚障害でも身体障害者手帳を取得しました。障害者手帳申請時に、白杖の歩行訓練を受ける費用の助成制度がある旨の説明を受け、それがきっかけで本格的な白杖の歩行訓練を受ける事になりました
白杖の持ち方、階段の安全な降り方等基本を1つ1つしっかりと教わりました。白杖での歩行は、白杖を右手で振るため、右手にかなりの負担がかかります。在宅勤務+雨で3日くらい白杖を使わないと、次歩いた時には、右手が痛くなるほどです。なので、手首への負担を最小限に抑えて、白杖を使う方法を知る事は長距離を歩くのに不可欠。そういった事もしっかり教わり、常に白杖とともに生活をする準備が整いました。

車の運転を辞めた日に白杖ライフが前に進んだ!

私の趣味は、18歳からずっと運転でした。目の病気が進行をしていく中で、夜間の運転は割と早めに辞めていましたが、完全に運転を辞めるXデーをいつにするかが大きな課題でした。この日を持って運転を辞めると計画をして運転を辞めた訳ではないので、もう辞めた日の日付すら覚えていないのですが、辞めるきっかけは突然でした。
見通しの良い交差点で、信号で右折をする際、何度も見て注意して曲がったはずが、私の視野の死角から急に自転車が飛び出してきて、もう少しで事故を起こすところでした。この日をもって運転をキッパリと辞めました。それと同時に、同じように歩いていても死角に自転車や人がいるかもしれないという怖さを感じ、この日を境に、犬の散歩(白杖と犬のリードの両立が困難)とどうしても人目が気になる場所以外は、常に白杖を持つようになりました。

注意1秒、怪我一生

車の運転を辞めた直後に大きな事件が起こりました。歩道橋の階段から転落しました。白杖で歩く事にかなり慣れてきていた事もあり、持ち方が雑になっていた事が段差を見逃してしまった理由です。
骨折してしまい、松葉杖で歩く事もままならないような大きなギプスをつける事になってしまいました。在宅勤務でよかったとこの時ほど感謝した事はありませんでした。
この事故が、改めてなぜ自分自身が白杖を持っているのか考え直すきっかけとなり、その後は大きな事故なく、白杖ライフを送れています。

白杖を持つべきか悩んでいる方へ

この記事に行き着いた方の中には、白杖を持つべきか悩んでいる人も一定数いるかと思いますので、そういった方に私から伝えられる事を伝えたいと思います。
私は自分の経験を通して、白杖を持つ事にはとても前向きです。むしろ、白杖での歩き方を覚えるには、ある程度視力や視野が残っている時に訓練を受けた方が、見えなくなってからよりも目印の見つけ方等安全に歩くための手法を覚えられる範囲が広いと思います。だからこそ、私は、視覚障害につながる病気があると診断をされた段階で白杖を持つべきだと思います。
そして、白杖を持つ人の数が増えれば、社会の中で白杖が特殊なものではなくなるので、より多くの視覚障がい者の方が、心のバリア少なく白杖を持てるようになると思います。

一方で白杖を持つという決断は非常に重いです。白杖の事を考えているだけでも、とても気が重く、気分が落ちる事だと思います。
そして、白杖の事を悩み始めてから、常に白杖で歩くようになるまでの心の戦いはとても孤独です。だからこそ、私は白杖を持とうか悩んでいる人に2つの事を伝えたいです。
まず、白杖の事で少しでも悩むのであれば、まずは、カバンに白杖を入れてみてください。私のようにどうしても困った時、その白杖が助けてくれる事があると思います。そして、何度か取り出してみるうちに自分自身がどういう場面で白杖が必要なのかが見えてきます。見えてくれば、自分自身に必要な場面だけ持ってみるのが大事だと思います。後は自然な流れに任せれば、自分自身にとって必要な時に必要な形で自然と白杖が持てるようになります。
次に、視覚障害について話せる友人を持ちましょう。理想は同じ病気を持っている仲間。視覚障害と言っても一人一人見え方が大きく異なります。だけど同じ病気であればある程度悩みは共通なので、白杖に限らず、悩みを話せる相手になります。視覚障害は、なかなか理解されにくい障害です。だからこそ、気軽に障害について話せる相手がいる事は、助けられる事がとても多いです。もし、そういった人が周りにいなくても、病気についてしっかり理解してくれる友達が一人持つ事で救われる事も多いと思います。(私自身にも話せる相手はいますが、その方のプライバシーに配慮して、ここでの記述は控えています。)

最後に...

私自身、白杖を持ち始めて3年近くが経ちました。今では白杖は完全に体の一部となり、白杖なしで歩く事が違和感だと感じるようになりました。色々な事情で白杖を持たない事もたまにありますが、その時も歩くテンポの取り方が白杖をふるテンポになっている自分がいます。
一方で、前向きな記事を書きながらも、網膜色素変性症を持って生まれた自分の運命に対する葛藤、障害者だと周りにわかってしまうシンボルを持ち歩く事、そもそも視覚障がい者として生きる事には常に色々な葛藤があります。私自身、色々な事情で白杖を持たない事がありますが、それは周りに視覚障害がある事を極力知られたくない時です。
それでも、白杖に対して肯定的な意見を書くのは、白杖を持つ事で自分自身、そして周りの大切な人の安全を守れるからです。途中の副題でも書きましたが、「注意1秒、怪我一生」です。白杖を持たなかった事で、一生の怪我をするのであれば、思う事があっても白杖を持つが社会の中での私自身の責任だと考えています。

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