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一生忘れられない4月/2024

月経予定日から1週間。
初めての遅れと体温の感じから
検査薬をする前から確信があった。
晴天の朝、1人トイレでいざ!
スティックに尿をかけた瞬間、、
未だかつて見た事がなかった赤い線がすぐに反応。
念のため1分ほど待った。確かに濃い2本線。
嬉しかった。待ち望んでいた光景。
主人にも電話で報告。とにかくビックリしていた。
でもこれからだから、落ちついて行こうと決意。
翌日にクリニックを予約していたので予定通り受診した。
先生も私の経歴からビックリしていた。転院してすぐの結果だった。
胎嚢を確認。正常に妊娠できている。
また1週間後の予約をし、その足で実家へ帰ることに。

主人とは、もし妊娠していたらお父さんにはすぐ報告しようと決めていた。
そう、、あまり先が長くない気がしていて、孫を抱いて欲しい願望はどこか諦めがついていて子供ができた報告だけでもせめてもの願望だった。
安心して欲しかった。父は翌日一時退院の日だった。
その前に実家にいる母と姉に報告。泣いて喜んでくれた。
この光景も夢の一つだった。明日父を迎えにいく。

翌日。今後の治療について医師から説明があった。
すでに色んな症状が父を苦しめていた。
そのせいか、父はとにかく家に帰りたがっていた。
家で死にたいと、、
体力と心臓の負担が問題だった。
緩和ケアを視野に、次の抗がん剤で副作用のリスクなど。
次が限界かなと察した。
もう歩行も1人では無理だった。
ヘルパーさんや介護用品などに頼り、母も高齢な為ギリギリな闘病生活だった。

癌というのは、少しずつ蝕んで攻撃を諦めない本当に意地の悪い生き物だった。

一時退院し床につく父。巨人大好き父はTVで観戦し、昔から変わらぬ夜の過ごし方だった。9回が終わり試合終了を確認した私。いよいよ報告に。

「お父さん、話したいことがあってね。」
エコー写真を差し出す。
「。。。何?!産まれたんか」
飛び級しすぎて笑った。
「違うよ〜授かりました!」
「おぉー良かった。男か?女か?」
「まだ5週とかで形もなってないから全然先なんだけど次私もツワリとか始まったらすぐ帰ってこれないから今日報告したんだ〜」と自分理由に説明するしかなかった。
「カラダ大事にしろよ。。」涙ぐんでたのが分かった。「ありがとうお父さん。」

変わらぬ刻、ゆっくりと家族団欒。
私が実家をあとに帰っていった中、
母と父で話していたのは
1歳になる頃には関西弁を喋り出すのか楽しみだな。と言っていたそう。
楽しみにしてくれてたのを聞いて
我慢していた涙が溢れ出た。
同時に関西で暮らして行く決意も固まった。

それから何日かして父は再入院、抗がん剤の治療を待っていた。が、採血の数値が悪く
とても投薬できる状況ではなかったらしい。
治療計画の日も過ぎ正常値になるのを只待つだけの時間が過ぎた。

報告から24日が経った日。
朝方、父は深い、深い眠りについた。
苦しむことなく、眠りにつけたそう。

前日夜、母と姉が付き添う中で
電話だけ私も繋いでてもらった。
耳元で感謝を伝えた。
もうゆっくりしていいんだよ。
ほんとによく頑張った。
ありがとう、お父さん。
おぅ!というお父さんらしい
返事もかすかに聞こえた。

私もそれだけで悔いはなかった。

約半年間の闘病生活。
家族がこんなにも一緒に頑張り過ごした時間は今までなかったと思います。
81歳の誕生日を迎え、翌月満開の桜を見て、
娘の妊娠報告まで、詰め込んだ最期。
精一杯の父親を見せてくれていました。

お腹の子も少しだけ
ジィジの強さを間近に感じたことでしょう。
この子の存在を待ってくれて、
知ってくれて天国へ旅立ったことで
私は心強さと、見ててね。という
気持ちで前向きになれました。
この1ヶ月は特にハラハラ、
ドキドキでしたが、
一生忘れることができない体験となりました。

私頑張っていくね、お父さん!

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