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習作 #8

文学や、それに隣接する例えば批評や哲学の界隈というのは、言葉を厳格に、弾力的に、しなやかに使える者が偉いとされる世界だ。自由自在に適切な言葉を繰り出していく「使い手」が現れては消え、時代や流行が作り上げられていく。言葉は運動神経のようなもので、それが良い者は何を書いても魅力的だし、逆もまた然りだ。努力云々によって成長できる部分は意外と少ない。

言葉を自在に使える者が偉いという序列は普遍的なもののように思われるが、実社会はそうではない。むしろ硬く、暴力的に振り回せる者の社会だ。弁の立つ者、言葉で他者と交流できる者は地位を築いていく。繊細なコミュニケーションなどは必要なく、むしろニュアンスを捨棄し、言葉の権力的な側面を増幅できるか。いかに言葉によって他者に強制的を働かせられるかだ。

言葉によって排除された者は、社会の周縁を彷徨うこととなる。それは異性おの会話が盛り上がらないような、ありふれた悲惨だ。魂が縮み上がり、生理的な欲求だけが残って、身体は動物になる。体臭は獣のように匂い、口からうなり声ばかりが漏れる。金を使い尽くし、ゴミ袋に囲まれた部屋で、性器から煙を吐き出す。

きっかけは停電だった。大雨で街に繋がる電線が切れ、それは雨が止んでも直らなかった。はじめはすぐに復旧するだろうとたかを括ってスマートフォンを眺めていたが、次第に電波が弱まり、そして充電が切れた。彼はぬるくなった布団から背中を起こす。肩が凝っていた。

枕元にあったチョコレートの箱菓子を手に取る。封を開けると人工的な苺の香りがして、彼はふと昔の女のことを思い出した。

その女は中学校の同級生で、まっすぐな髪を肩で切り揃えていた。声が小さく澄んでいて、律儀だった。何故だかノートを借りたことがあって、丸い文字の並ぶ余白にイラストが描かれていた。その後彼は学校に通わなくなった。

描けるだろうか?彼は棚にあるペンを摘み上げた。ノートは無かったが、管理会社から届いていた手紙の裏に白紙を見つけた。キャップを開け、ペン先が画面に触れた瞬間、濡れていた彼の掌から汗がひいた。

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