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LV30・ハム食べたい・ハイウェイ

昔、詩人の最果タヒさんの歌詞に関する連載で、くるりが取り上げられているのを読んだことがある。くるりの歌詞は平易だがわからない。意味は理解できるが、真意がわからない。だけど、ふとしたときに、わかる瞬間が訪れる。そんな内容だった気がする。

コロナの感染拡大が始まった頃、世界は終わるのだと本当に思っていた。マスクが手に入らず、食料が買い占められ、仕事が休みにならない。人災としか思えないような施策が打たれ、死者が「数」として増大していく。正直、限界だった。

召喚するか ドアを開けるか 回復するか 全滅するか
(「LV30」)

「全滅」という言葉を身近に感じた瞬間、この呪文のような歌詞が差し迫った現実の状況をうたっていたのだと気づいた。逃げ場のない状況になってはじめて、敵が味方のうちにいるのだとわかった。そのヤバさは、今も何が変わったわけでもない。

生来、人間が嫌いな性格だから、他人といることにウンザリすることがある。話し合いとか、共感とか、勝ち負けとか競争とか、本当にめんどうくさい。負けでいいから一人にして、と思っている間に、バカに見下されたりしている。

自分が思っていることを、じゃあ例えば誰かに話したとして、じゃあ何割くらい理解してくれるのだろうか。なんでもわかると思っている人間はじゃあ話してみてよなんて安易に言うのだろうが、話の前提と、論理と、その話の重要さと、不確かさをあくせくと説明して、ほんのり理解したような顔をされて、何も変わらない。
前提となる多数決が存在していて、正しい間違っているは一切関係なく、多勢が多勢として自信満々に生きていく。自分一人の心のうちは、結局晴れない。酒を飲んでも、女の子とだらしなく遊んでも、ついにがっかりして終わる。

ハム食べたい あぁ ハム食べたい
桃色のハム食べたい
(ハム食べたい Schinken)

「ハム食べたい」はハムが食べたい歌じゃない。もううんざりだという意味だ。ルールとか、生活とか、善悪とか、全部どうでもよくて、しょうもなくて、そんなときに、パックのままの、素手でつまんだ、ハムが食べたくなる。
盗み食いをする食べ物の中で、ハムは一番おいしい。実家のチルド室から勝手に盗ったハムは、冷たくてしょっぱくて、ぜいたくだった。料理とは到底呼べなくて、身体に悪いから、またハムを食べたくなる。

最近、身体の調子がすこぶる悪い。昔からストレスが胃にくる体質なのだが、今回のは特に酷い。ずっと、けっこう痛い。いまの仕事も、そろそろ限界なのだろうと、薄々気づいている。

何かを決断するとは、どういうことなのだろうか。自分で何かを選択して、勝ち取った経験のない人間には、決断という行為は可能なのだろうか。まわりばっかりうまくいっている。自分は逃げてばっかりだ。

昨日YouTubeで、くるりのライブ映像が公開されていた。#YouTubeMusicWeekendという企画の一環らしい。去年のベッシーホールでの公演で、その1曲目が「ハイウェイ」だった。

飛び出せジョニー気にしないで
身ぐるみ全部剥がされちゃいな
やさしさも甘いキスも
あとから全部ついてくる
全部後回しにしちゃいな
勇気なんていらないぜ
僕には旅に出る
理由なんて何ひとつない
手を離してみようぜ

「ハイウェイ」

この社会は本当に悲惨で、狡いやつが想像力無く物事を決めている。対抗する人々が集まったとて、その中にも自分は入れない。自分は絶対に一人で、とてつもなく心細くなる。
このさきどうやって生きていこう。本当はみんな、決断に根拠なんか一つもなくて(未来は絶対にわからないのだから)、ただ無謀に賭けているだけなのかもしれない。勇気がいらないなら、自分にもできるのかもしれない。


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