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習作 #1

私は海を眺めながら、生活について考えていた。海に行けば現実から逃れられると思ったが、むしろ生活について、つまりは労働と女のことばかり考えてしまう。労働のことと女のことは繋がっている。叱責や疲労に耐えて会社勤めをするのは女に相手にされるためであって、女がいなければ働く意義は存在しない。若い女と喋るのは有償の行為であって、対価を差し出せぬ者には話す権利がない。

こうして工場の合間から黒い海面を眺めていると、海というものが大量の水でしかないことがわかる。足下の岸壁に波が当たる音は鈍く、鳥の鳴き声も実際に聞くとやかましい。工場は常に何かしらの音を立てていて、背後では自動車の排気音が断続的にする。半袖のYシャツの胸ポケットから整った箱のタバコを取り出して浅く吸った。巻紙の燃える音が面白く、ひとりでに少しだけ微笑んだ。

60歳も過ぎると友達と呼べる人間などまず居なくなる。調子のよいときは粛々と、悪いときは耐え忍びながら、自らの言葉を噛み殺す。空は青々と澄んで果てがなく、一定時間だけ変化を与えてくれる雨のほうが面白かった。吸い殻を海に投げ捨てると、波に押し返されて真下に漂った。私はそこで、水中に何かが浮かんでいることに気が付いた。目を凝らすと、それは切断された虎の頭だった。すごく強そうな虎の頭だった。

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