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ある年の瀬

ある年の瀬



仕事の後の帰り道、周りには都電の音、車のクラクション、急ぎ足の人々が右へ左へ前へ後へ、人の渦ができている。
Y氏は、寒さのためコートの襟をただした。
年の瀬も迫る夕暮れ時、人々は、なぜか急ぎ足になる。
新しい時代を前にして、皆それぞれに心の準備をしているようだ。
 捨てるべきものは捨て、(自分)に言うべき事は言い聞かせるかのように。
Y氏は、交差点に差し掛かり、5分間待たなければならない赤信号に目をやった。
隣にいる人が、突然Y氏に向かって怒鳴りかけた。
 「皆さん、この人が、この人が私の子供を殺したんです。あの子はいい子でした。それをこの人が「あー。」
 婦人は、その場に倒れ込むように、跪いて泣いている。
 もちろん、そんなことで周りの人が、この婦人に対して、声をかけるようとする気配は無い。
自分には関わりがないこと。
面倒には、関わりたくない。
信号が、赤から青に変わった。
それぞれの人がそれぞれの道を歩いていく。
 Y氏もしばらく驚いていたようだが、自分に見覚えがないことを確認し、歩道の中へ入っていった。
 自分の家に着いたY氏は、コートを脱いでベッドの横にあるソファーに腰かけた。
昨日のブランデーの残りをグラスに注ぎ込み、Y氏は、やっと落ち着いたようだ。
「世の中も変わったもんだ、人違いもほどほどにして貰いたい。
どこで誰が見ているかわからん。
他人事だと思っていたこと(事件)
が、少しずつ私に近づいてきているようだ。
気づいたら、明日の朝刊に自分が載っていた、なんてことでは済まされんぞ、「全く」Y氏は、グラスに着いたアルコールを一気に飲み干した。
「まったく、それだけ情報化社会に巻き込まれていると言うことか。
人類の脳が発達したか?それとも、単に人口が増えただけなのか?どちらにしても、人の数が増えただけ、災難に巻き込まれる確率が増えた事は確かなことだ。」
 Y氏は、作りかけの手作り船に手をやった。
毎日の日課だ。
1年がかりの傑作が、今出来上がろうとしている。
 Y氏は、もちろん興奮が高まる自分を抑えきれずにいる。
 (リーンリーン)電話が2回になって音が消えた。
 「そうだ、これを忘れていた。」
 Y氏は留守番電話のテープをかけた。今日1日の自分に関する出来事を確認するためだ。
内容はいつも通りの仕事に関することばかり、のはずだった。
 「私の子供を返して、お願い、今ならまだ間に合うわ。」「なんだ今の声は……。」
 Y氏は再び巻き戻して再生した。
「こ、この声は……。」
ピンポーン、誰か来たらしい。

来客

「すみませーん、小包です。」
 「ちょっとお待ちください、今開けます。」Y氏は。片手でドア開けた。
「どうも夜分すみません。」見ると背広姿の男が、小包を隠すかのように脇の下に挟んで立っている。
「あー、待ってたんですよ。夜も遅いので、もう今日は来ないのかと思ってましたよ。」
「すみません、待たせてしまって。忘れるわけがありません。少しばかり私用がありまして。」
Y氏は半を押した後、なるべく当たり障りのないように、来客の視線を逸した。
「いかがですか?その後の調子は……。」「えーまずまずです。」「そうでしょう。そうでしょう。これを使いだしたお客様から、歓喜の悲鳴が毎日私方に寄せられております。私は、世の皆様方が喜んでおられる姿を見ると、愛用者の方々が少しでも幸せになれるためなら、と常々思っております。
あなた様は、ご愛用いただいてから、まだ間が経っておりませんので、実感がわかないのも無理はありません。しかし、少しずつあなた様もこの効用に気づいてくださるはずです。
新しい時代を迎えるためにも……。では、失礼。」背広姿の来客は、そう言い残して去っていった。

無意識的なプライド

しばらくの平穏な日々が、過ぎていった。
Y氏も例外ではなく、毎日の平穏な日々を送っていた。
会社での仕事も、いつも通りのことを繰り返すばかり。いささかY氏もこの惰性には参ってしまった。
「なんだこの退屈な毎日は……。
少しは刺激のある日もあってもいいじゃないか。」Y氏は、デスクを思いっきり拳で殴った。
 ドーン、しばらくして、Y氏は、周りの視線が自分に集中していることに気づく。
「ゴホン」Y氏は、気を取り直して、仕事をやり始めた。
 「全く、少しでも人と違うことをすると、周りの人の顰蹙を買う。それも集団で、皆が皆、人を見下した無言の視線で……。」
 こういう時だけ、人は他人同士でありながら、お互い干渉されることを嫌う者同士が、無言で協力しあっている、それも無言で……。
 無音だからこそ、干渉されない前提があることを彼らは知っているのだろう。プライドだけで自分を割いているだけじゃないか。」
Y氏は、退屈しのぎには良いだろうと自分に言い聞かせた。

生き延びるため

仕事の帰り、Y氏は、毎月1回病院に通うことになっている。
この日も病院の待合室で、Y氏は、1番最後になって呼ばれた。
「先生、一体いつまで通わせるつもりですか。私はもうどこも悪くありません。ここ1年、病院に通って、聞かれる事は決まって「体の具合はどうかね」
この一言。ここに通うだけでも、時間とお金の消費は大変なものですよ。それになんですか?薬は、まとめて後から送ると言ってわざわざ小包にして私は、自分で持って慣れてますよ。
そりゃ交通事故の後遺症で体がしばらくの間、痛くて動けませんでしたが……。
私には仕事があるんですよ。人より遅れたら出世の道がそれだけ遅くなってしまうんです。
今日限りにしてくださいよ。」
 しばらくして主治医は腰を上げた。
「君の言う事はわかった。確かに君はもう心身ともに完治したようだ。
もうここへ来る必要は無い。
薬ももういいだろう、これからは後ろを振り返らずに常に前を見て行きなさい。」
 「何を当たり前のことを言っているのですか。用がないならこれで失礼します。」
Y氏は、そう言い早足で病院を抜けた。
「これで良かったのでしょうか?」カーテンの陰から、あの背広姿の姿の男性が現れた。
「んー。確かに彼は、あの事故で交通刑務所に入った。
 相手の子供が無理に飛び込んできて彼の車にはねられ、完全なる過失にせよその子の命は失われた。
その日以来、彼は良心の呵責によって過度の精神疾患に悩まされ、私のところに来たのだが。
亡くなった子供の親の気持ちを考えると、自分が生きていては、いけないのではないかと言う妄想に駆られてこのままでは彼は、自分を責め殺してしまうのではないか。
との国からの要望で、私が彼の担当になったわけだが、こうも簡単に薬の効果が出てくるとは、いやはや信じられんことだ。」
主治医は考え込んでいる。「あれほどまでに効くとは、私も今驚いているところです。」背広姿の男性も何か引っかかったような顔をしている。
「しかし、彼が生きる気力を失いかけていたのは事実だ。自ら生き延びるためにはこうするしかなかった。
会社の電話に仕掛けをし、交差点で人を使って彼の潜在意識を確かめる必要があった。」
「国際レベルでの異例の要請に、精神科きってのあなたが選ばれたわけです。
そして、国際レベルでの命令で、私がこの薬を彼に、試したわけです。」
「しかし、服用に対する副作用は無いのでしょうか?」
「さぁ、それは分かりません。」
人の心を変えてしまうほどの効果があるのですから。
いずれにせよ、1つ言える事は彼が今後とも、国際レベルで必要とされている人物である事は確かです。
これ以上は、我々は干渉をしてはいけないことです。
皆我が命が可愛いですからね。」
年の瀬も迫り夕暮れ時、人々は、なぜか急ぎ足になる。
新しい時代を前にして、皆それぞれに心の準備をしているようだ。
捨てるべきものはして、(自分)に言うべき事は言い聞かせるかのように……。

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