【解呪】いっそ好きになれればよかったのに
自分の中の呪いを解くための散文。特定の個人に対するメッセージではありません。また、文中のエピソードも最近のものとは限りません。
「いっそ好きになれればよかったのに」だなんて、正直で残酷で息ができない。
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好意の価値を信じて疑わない人間は、ある種の攻撃性を自覚しない。無邪気に、選び取ること・選び取られることを尊んでいられる。そうして彼らは自らの好意に見合う何某かを受け取れるべきだと訴えるのだ。それが普通で、好意に答えない人間は失礼なのだと断罪さえする。
選ぶことで排除したものや、与えることで奪おうとしているものになんて目もくれない、何を踏んで立っているかなんて気にもしない。自分にも立派な足が生えていることを知らないのだろうか?
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わかっていても、踏まれたまま動けないんだから、
なんと無力なんだろう。
与えること・与えられることの裏側では常に、奪うこと・奪われることがこちらを覗いている。好意に付随した期待は純粋無垢な顔をして、強い効力を発揮する。搾取されるどころか、うっかりすると十分に応えられない自分自身を責めてしまいそうにさえなる。
しかし果たして、自責を伴う他己肯定なんて、私の人生に必要か!
ー
「いっそ好きになれればよかったのに」だなんて、そんなことを口走る精神状態に陥れたことに気づきもしない生き物と、どうして友人でいられただろうか。なるべくしてなったと考えるほかない。
しかし、
踏み込まなければ、踏み込まれなければ、今でも知人であったかもしれない世界の私は、好意によって友人を奪われる悲しみを思い出すことはないのだろうな
。
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