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『ジョン・ウィック:パラベラム』を見る前に。現代アクション映画史のおさらい

私たちのキアヌ・リーブスがカムバックした。

こんな風に書くと、まるでキアヌが落ちぶれていたかのように聞こえてしまう。

しかし各所でそのように言われる程度には、キアヌ・リーブスの俳優としてのキャリアはステップアップせずに、言うなれば停滞していた

キアヌについて皆が話すことと言えば、映画への出演や賞の受賞についてではなく、彼のちょっと変わったプライベートについてのゴシップばかり。俳優としてのキアヌ・リーブスはいわば古い伝説であり、面倒くさい映画オタクたちの心の中で生き続ける、静かで厳かなアイコンの一つと化していたのだ。

しかし『ジョン・ウィック』シリーズのスマッシュヒットにより、キアヌは劇的な復活を果たす。日本で10月4日に公開されたシリーズ三作目、『ジョン・ウィック:パラベラム』はすでに続編の製作が決定したというのだから驚きだ。

さらにはなんと、棚から牡丹餅で『マトリックス』の続編まで決まったというのだから、日本に7000万人以上は存在すると思われる潜在的なキアヌ・フリークたちは、チャド・スタエルスキ監督に足を向けて寝られないだろう。

そんな『ジョン・ウィック:パラベラム』を観る前に、本シリーズがアクション映画史においてどのような位置付けにあるかを確認しておこう。

それはそのまま、キアヌと『マトリックス』から始まるアクション映画史についての話でもあるのだが。

『マトリックス』映像表現の革命

後の映画史に多大な影響を与えたとされる映画は数あれど、キアヌ・リーブスが主演した『マトリックス』ほど”革命的”と称されるに相応しい映画はないのかもしれない。

『マトリックス』はそれまでの牧歌的なアクション映画の形を破壊し、誇張したCG演出、ワイヤーアクション、カンフー等を映画の世界に導入した

これらは『マトリックス』が最初に開発したわけではないにしろ、世界中を席捲するまでに広めたのはやはり、本作であるといえる。アクション映画史はいわば、『マトリックス』以前と『マトリックス』以後で明確に分けることができるのだ。

※もちろん、他にもエポック・メイキング的な作品は存在するわけではあるが。

『マトリックス』が広めた、現実を最大限に誇張していくアクション演出は、その後の様々な映画にコピーされていった。それは模倣され続けた結果、最終的にはアクション演出の閉塞と停滞感、滑稽さを感じさせるまでに至ってしまう

『ボーン・シリーズ』アクションの現実主義

『マトリックス』が始めた超現実的なアクション演出の成長限界。それを破壊したのが、マット・デイモンの『ボーン』シリーズである。これはいわば、それまでの誇張された戦闘現実に対するカウンターであり、アクションの現実主義への転回であった。

徹底的にリアルを追求した格闘、過剰なまでに刻んだカット割り、あえてブレを強調した至近距離からの撮影。サブリミナル的に用いられる効果音。『ボーン』シリーズが導入した斬新なアクション演出は挙げ始めればキリがない。とにかく、本作も一つの革命を起こしたわけである。

『マトリックス』的な演出が一つの定番となったように、『ボーン・シリーズ』的な映像表現も、アクション映画の一つの定番と化した。定番というよりも、むしろトレンドと言い換えた方が正確なのかもしれない。

後続のアクション作品はこぞって『ボーン・シリーズ』をトレースし始め、ジェームズ・ボンドすらもジェイソン・ボーンと化したのだ。

しかし、この映像表現を最も上手く扱えたのは、結局は『ボーン・シリーズ』のグリーングラス監督に他ならない。彼の用いた技術は端から説明されるよりもずっと難解で再現が難しく、他の後続作品たちはみな、劣化ジェイソン・ボーンになってしまったわけである。

『ジョン・ウィック』アクション映画史最前線

そして、『ジョン・ウィック』シリーズである

「愛犬を殺された元殺し屋が、仕返しでマフィア組織を壊滅させる」という「マジかよ」な設定を持つ本作は、低予算ながらもスマッシュヒットを飛ばした。

『ジョン・ウィック』シリーズのアクションにおける、具体的な特徴を挙げてみよう。それは監督がガン・フ―と自称するマーシャル・アーツ的なガン・アクションや、要所で煩いほどにリアルさを強調する正確な銃の操作だったりする。

また、アクション映画を見れば誰もが一度は感じる違和感。例えば、主人公を取り囲む敵はなぜか銃ではなくナイフや棍棒で武装していたり、なぜか敵の銃弾は一切主人公に当たらなかったり。そういった違和感を極力排除しているのも特徴の一つだろう。

振り返って、『ボーン・シリーズ』の追求したリアルなアクションでは、主人公はそもそも敵に囲まれるような状況を避ける。クレバーなリアルさであった。しかし、僕たちが本当に見たかったのはそういうことではなかったわけだ

『ジョン・ウィック』では、主人公はガンガン敵に囲まれるし、取り囲む敵はみんな銃で武装している。しかも主人公は定期的に、なかば義務的に被弾する

そんな銃弾の雨あられの中でも、生命の価値が大暴落を引き起こしている『ジョン・ウィック』世界で、主人公は拳銃片手に目の前の敵を抹殺し続ける。それはアクションを見ているというよりは、FPSゲームの連続キルストリークを見ている感覚に近い

こういった状況から演出される、FPSの野良試合にプロゲーマーが混じっているような無双状態が、本作に独特な個性とミーム的な興味深さを与えている。

『ジョン・ウィック』は革命か?

それでは果たして、『ジョン・ウィック』は『マトリックス』や『ボーン・シリーズ』のような、アクション映画史におけるエポック・メイキングなのだろうか?

残念ながら、それはNOである

『ジョン・ウィック』は確かに、『マトリックス』や『ボーン・シリーズ』が形成してきたアクション映画史、その時間軸の最先端に位置する映画だと言えよう。しかし本作は革命的で斬新であるというよりは、それらをよく研究した上で、強烈な個性を打ち出した秀作であると評した方が正しい。

※個人的には、クリスチャン・ベールの『リベリオン』の系譜に位置づけられる作品なのではないかとも思う。

『ジョン・ウィック』は誰も観たことがない、想像したことすらないという斬新な映画ではなく、世界中の映画ファンたちが「こういうのが観たかったんだ!」と夢想していた物を最大限に具現化した作品なのだ。

『ジョン・ウィック:パラベラム』10月4日より公開中

『ジョン・ウィック』は世界中の面倒くさい映画オタクたちの潜在的な需要に応え、その存在がキアヌと共に半ばミーム化することによって特異な立ち位置を形成した。

要素の全てがケレン味へと収束するスタイリッシュ・ケレン味アクションのスタイルは、1作目の『ジョン・ウィック』にして確立され、2作目の『ジョン・ウィック:チャプター2』においては前衛芸術的な領域にまで到達してしまった

ここまで偉そうに語ったところで、筆者自身は10月4日の公開初日に『ジョーカー』を観た関係で、『ジョン・ウィック:パラベラム』についてはまだ未見である。これから観に行くのでどうか許してほしい。

しかし少なくとも、『ジョン・ウィック:パラベラム』のラスボスがエージェント・スミスのあの人ではないことだけは知っている。筆者は本作の製作が決定された時から密かにそれを待ち望んでいただけに、誠に残念な限りだ。

しかし『ジョン・ウィック4』の製作はすでに決定しているため、ラスボスには今度こそエージェント・スミスことヒューゴ・ウィーヴィング氏が抜擢されることを祈るばかりである。

チャド・スタエルスキ監督がマトリックス・フリーク達の潜在的な需要にも応えてくれることを祈りつつ、このnoteは終了させて頂こう。

ヘッダー画像:『John Wick: Chapter 3 - Parabellum(@JohnWickMovie)』より引用


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