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小野俊之・著『完全樹海マニュアル』、感想文-「知る」という誠意

青木ヶ原樹海ときいて頭に浮かぶものは何だろうか。多くの人は、自殺の名所が最初に出てくるのではないだろうか。私はこれに加えて茸の特産地というイメージがある。

しかし、それだけではもったいないのが青木ヶ原樹海だ。富士山に抱かれた大自然の中には、あまたの動植物が息づいている。その動植物を育む土など無機物の存在も忘れてはならない。そして、それら大自然の恵みを受けてきた私たち人間と青木ヶ原樹海との関わり。

これらを網羅したのが小野俊之・著の『完全樹海マニュアル』だ。今まで目にすることがなかった樹海の姿や背景が記されており、青木ヶ原樹海の入門書としては最適だと思う。

今回はこちらの感想文にお付き合いいただきたい。


■自殺の名所だけでない青木ヶ原樹海

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青木ヶ原樹海といえば自殺の名所が有名だ。私が小中学生の頃は、ワイドショーで青木ヶ原樹海の自殺者レポが頻繁にされていた。完全に青木ヶ原樹海と自殺がセットになったのは、平成5年(1993)7月に出版された鶴見済・著『完全自殺マニュアル』の存在が大きい。

100万部の大ヒットを飛ばした『完全自殺マニュアル』では様々な自殺方法を伝授。その中に、青木ヶ原樹海での自殺での指南もあった。私は発売直後に、高校のクラスメイトから借りて読んだ。『完全樹海マニュアル』の著者の小野氏は私と年が1つしか変わらないので、同じく高校時代に読んだはずだ。

『完全自殺マニュアル』を読んだ私は、青木ヶ原樹海に興味を持った。そして調べた。様々な書物や映像に描かれた青木ヶ原樹海は、生き生きとした大自然が広がる空間。ここで死にたいと願う人が多いのも、何となく分かるような気がした。

大自然とは生と死の繰り返しによって広がっていく。秋に見られる落葉も、ある種の「死」である。落葉はいずれ朽ち土の栄養となり、動植物の命をつなぐ。この自然のサイクルに組み込まれたいと願うのも、自然の一部であるヒトの本能かのかも知れない。

ここで疑問が生じる。朽ちた後、何の栄養になるのだ?この疑問に答えてくれるのが、『完全樹海マニュアル』だ。


■盛りだくさんの『完全樹海マニュアル』

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『完全樹海マニュアル』は青木ヶ原樹海に関する自然・歴史・民俗学を網羅した書籍だ。当然、植物についての記載も。短い書籍であるため詳しくないが、大まかな説明はある。ただ植物はあっても、シカ被害が大きいようだ。これは実際に樹海を歩いていないと分からない。

話は脇にそれるが、シカ被害は全国で深刻な影響が出ている。シカの届く範囲の植物が全くないのだ。木の皮ですらもなくツルツル。木の枝はある一定の場所から、切りそろえられたかのように生えていない。

私がこれを初めて目にしたのは今から15年ほど前の滋賀県のある山村だ。笹だけが残った山の中、シカの糞がそこらかしこに転がっている様は異様であった。滋賀県だけでなく青木ヶ原樹海でも同じ被害が出ていると分かっただけでも、私にとって大きな収穫だ。

話を元に戻して『完全樹海マニュアル』。構成は小野氏と一緒に樹海散策をしている気分になるもの。一応項目ごとに説明は分けてあるものの、歩きながら喋っているぐらいの分量の情報だ。よって、詳しく青木ヶ原樹海の動植物について知りたいと思う人には不満が残る内容だろう。「犬が怖い」という情報よりも、もっと動植物の情報が欲しかった。

それでも、民俗学までカバーしているのは評価できる点だ。


■なぜ、青木ヶ原樹海は自殺の名所になったのか

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青木ヶ原樹海は自殺の名所だ。こうなってしまったのには理由がある。昭和35年(1960)に発表された松本清張の小説『波の塔』で主人公がラストシーンで自殺したのだ。青木ヶ原樹海で。これにより樹海での自殺者が増え、『完全自殺マニュアル』にも記されるほどの名所となってしまった。これについても『完全樹海マニュアル』に記載がある。

加えていうなら、富士信仰が松本清張に影響を与えたと考えられる。富士信仰とは、江戸時代に主に関東の庶民の間で爆発的な人気を誇った民間信仰だ。各地で信仰グループの「富士講」が結成され、連れ立って富士詣をしたり行事をしたり。

この時の石碑が今も残されており、その写真が『完全樹海マニュアル』に掲載されている。この石碑は、関西でいう「お塚」の感覚に近いのかも知れない。お塚とは稲荷信仰の一種で、信仰する人の名前を石に刻んで奉納したものを指す。

しかし、樹海の石碑は富士講単位で奉納してあるようだ。個人の名前を刻むお塚とは違う。富士信仰と稲荷信仰を同一視してはいけないが、これも東西の考え方の違いではないかと思うと興味深い。

このように信仰の地であったことが、生の終着地点に選ばれたことは想像に難くない。

ここまで想像させてくれるだけの情報量が、『完全樹海マニュアル』にはあった。


■『完全樹海マニュアル』の課題

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『完全樹海マニュアル』はわずか14頁の書籍だ。ここに美しい写真と文章を盛り込んでいくため、どうしても文字が小さくなるのだろう。仕方がないと分かっていても、これが『完全樹海マニュアル』の一番の難点だ。老眼が入ってきている私は読むのに苦労した。

恐らく、この本が作成された約10年前は小野氏も30代前半で視力もバッチリだったのだろう。40代の今なら、この大きさにしないはずだ。

ただ、550円という値段を考えると贅沢は言っていられない。550円とは考えられない情報量と美しい写真なのだ。深い緑とその緑に包まれる営み。そのすべてを14頁で描く。こう考えると、文字が小さいぐらいで文句は言っていられない。

もう一つ、文句をつけるのであれば、もっと自然の項目を増やして欲しかった。14頁中、自然に関するものは3ページである一方、自殺者に関するものが5ページ。自殺に関しては、もう少しさらっと流すぐらいでも良かったのではないかと思う。

なぜなら、自殺は青木ヶ原樹海のほんの一面なのだから。


■ガイドでなく「マニュアル」とした想い

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小野俊之・著『完全樹海マニュアル』は、550円で購入できるフルカラーの本の中で優良だと私は思う。タイトルを「ガイド」としなかった点も、小野氏の想いがこもっているようで気に入っている。

樹海との出会いの一つである『完全自殺マニュアル』と、マニュアル本来の意味。つまり「手引き」だ。

樹海には大自然が広がっている。上手く付き合いたいと願ったとしても、大自然は私たちの分かる言葉で語りかけてくれるわけではない。そんな時に手軽な「手引き」があれば、大自然が発する言葉が少し解せるのではないだろうか。

相手のことを知らなければ、付き合っていくことはできない。相手を知ることが、最初にできる誠意の表し方だ。これは相手が自然であっても人間であっても変わらない。青木ヶ原樹海と上手に付き合って欲しい、そんな読者への小野氏の願いが込められた書籍が『完全樹海マニュアル』ではないだろうか。

誠実で良い本だった。山梨県に住む人はもちろんのこと、富士山を愛するすべての人に薦めたい。


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【おまけ】感想文を書くまでの経緯


私が『完全樹海マニュアル』を購入したのは、平成31年(2019)1月だ。まる1年経っての感想文なのには理由がある。

まず私の健康状態だ。昨年は年明けにかかったインフルエンザと肺炎により、体力が6月ぐらいまで回復しなかった。加えて、耳石が左耳で転がるようになり、眩暈が悪化。眩暈が酷くなると考えもまとまりにくくなるため、仕事以外での執筆は難しい。

次に感想文を書くことへの恐れだ。私は仕事やプライベートで文章を書くことが多く、感想文やレビューも多く執筆してきた。その中でトラブルが多かったのが、評論・レビューだ。反響が大きい分野であるから仕方がないものの、仕事でない文章でトラブルを起こしたくなかったのだ。

多いトラブルが、著者や製作者の思った通りの感想を述べないというもの。褒めているにも関わらず、そこは見て欲しくない部分だということもある。これを避けようと、この1年小野俊之氏のTwitterや氏と親交のある人物のSNSを観察していた。とにかく私は、自然科学の分野でトラブルを起こしたくなかったのだ。

観察を続け、本音を伝えた方が良い人物であろうという結論に達した。自分の安心のため、1年感想文を書かずにいたのは申し訳なく思っている。

まあ、今回こうやって書いたので許してやって欲しい。


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コラムニスト/コンテンツライター 広島県安芸郡海田町出身、大阪府高槻市在住。平成17年7月より、コラムニスト・ライターとして活動開始。恋愛記事や雑学記事から果てはビジネス文書まで、幅広く手掛ける。元・旭堂花鱗。