3.5.プリクラと反省


最後にプリクラを撮ったのは5年前で、もう人生で2度と撮ることはなかったかもしれないプリクラを何となく思い立って撮りに行った。あの頃仲良かった友人はみんなどこか遠くに散ってしまっているし、いまさら誰かを誘ってまでやりたい事など無い。

ゲームセンターはあの頃とは変わっていた。当時、プリクラ機7割、クレーンゲーム3割だったフロアには、プリクラ機1台しか残されてなかった。

「どのプリ機にする〜?」と、懐かしい友達の声がする、わたしは選択肢のないたった1台のプリクラ機に強制誘導され、あの頃みたいに画面にタッチした途端、「あれ?誰か入ってるんだけど〜」と若者の声に、あの頃のすべてが掻き消される。

昔より隙間のあるカーテンの仕様になっていたこともあり、私は終始、女の子2人組からソロ撮影を覗かれる羽目になる。

まあいいや、と思いながらも、当時は暗黙のルールで人の撮影を覗くのはご法度卍 とされていたので、今の子たちはゲーセン無法地帯なのかな、と安全になったのか悪化したのかわからない治安のことを思った。


とにかく若者に負けないよう、私は真顔を貫き、真面目にプリクラを撮ることにした。
そこで私はあることに気付く。昔は、ホラーモード、キラキラモードなど、背景やテーマを選択することができたのに、今は終始シンプルな白い背景で、なんの変わり映えもなく「これのどこにアミューズメント性があるのだろうか」と考えながら、ただ、ただ、真顔を貫いていた。

撮影のあとの落書きコーナーは、タッチペンが無く、落書きも出来ず、顔の加工しかすることができなかったし、なにも面白みがなかった。
自動加工された顔面が、怖くて仕方なかった。帰りたかった。


私は、もう昔のようにプリクラを楽しめなくなっていたことに気付き、反省した。全てを楽しめなくなってしまった、世界を諦めてしまったのだろうか。あの頃、一体、何が楽しかったのだろう。
世界との距離なのか、世界が衰退したのか、私の心が腐ったのか、
そんなことをぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる、ぐるぐる、と考えていると、画一化された、整ってしまったもののつまらなさに行き着いた。

昔のプリクラは「これは盛れた!こっちは盛れてない」みたいな奇跡があったし、間違えて押したホラーモードとか、失敗した撮影を落書きで何とか完成させたり、一瞬一瞬を切り取った、それは紛れもない刹那だったように思う。
しかし今は、何度撮っても奇跡は起きない。同じ背景、同じ顔面、作り込むだけの加工しかそこにはなかった。


いつだって、目の前のもの全てを楽しめる自分で居たい。つまらなさのなかに、どうにかして面白味を見出せる自分でありたい。

『おもしろき こともなき世を おもしろく
 住みなすものは 心なりけり』高杉晋作

いろいろな場面があるけれど、楽しめる心を失ってしまったらおしまいだなと思いながら、今日、唯一楽しかったことといえば、いま入力しているこの日記、プリクラを撮ったことで掘り下げた世界の見方と自分自身について、あとは時代の移り変わりを感じられたこと。

まだしばらく、ゴミ箱から光探しの旅は続く。

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