《写真》を問う写真:吉田志穂『測量』

以前見たのはインスタレーションの形式をとった作品群であった。その空間を”それ自体”ひとつのイメージへと変えてしまう、身体全体を目へと変貌させてしまう体感型の写真としてのインスターレーションもいい。だが、やはりひとつひとつの”断片”としての写真へ順に没入していき、思考の順序をゆっくり可視化していくのも悪くない。

”写真そのものの一次性とは何か”。吉田志穂の作品は、デジタルとアナログの表現が混在する中でその問いと並走する。

”写真家はアナログとデジタルを往来する”。もう言わずと知れた彼女の制作手法である。世界そのものがデジタル変成しようとする渦中の現代では、その手法自体、物語性を含んでいると言える。では、その出力結果の写真の方はといえば実際どうか。そこには、物語による支配など全く生じていない。私にはそう思えるのである。鑑賞者はその目の前にある、”奥行きのない”イメージそのものの力強さに、とことん没頭することになる。彼女の写真は具象なのか抽象なのか。それは、抽象的なオブジェクトに具象の生々しさのみを残し、写真というメディアの存在感に光をあてる。彼女の写真を見ていると、ドゥルーズの『ベーコン論』を思い出す。〈われわれは、具象的形態から出発し、図表が介入してそれを撹乱する。そしてそこからまったく別の性質を持つ<図像>といわれる形態が出現する。〉彼の写真家的描写には驚かされる。彼女の写真群においても、《抽象-具象》・《デジタル-アナログ》というレイヤー間の境界にシームレスな統合融け合っているが生じている。”写真そのもの”のアップデートしようとする試みが彼女の作品の特異点であるといえないだろうか。

”デジタルとアナログという二項関係は失効している”。基盤レイヤーはデジタルであり、アナログは完全にサブレイヤーとなってしまったのではないだろうか。RICOH社の2.5次元印刷技術などを見ても事情は似ているのだが、デジタルデータを始点とすることで、アウトプットしたアナログ的官能性はかえってアップデートされている。昨年、木村伊兵衛賞の受賞者のひとりに横田大輔氏がいる。端的にいえば、彼が行なったのは写真のリバースエンジニアリング分解である。そして、今年の受賞者吉田志穂氏の写真では、”実装された”といっていいほどにそのイメージは《写真》なのである。

”今の写真は混迷している”。表象の表現ではなく、《写真》とは何かというある種プリミティブなレイヤーでの試みが増えてきそうである。それが、昨年今年の木村伊兵衛賞の受賞作家を見て私が感じたことだ。現在のような原点回帰を要するタイミングほど次回の受賞者が楽しみなこともないのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?