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コアラのマーチ

宮田は昨日の喧嘩のことで頭がいっぱい。恋人のミドリはふだんからとても表情の変化が豊かで、いろんな種類の感情を持っているしよく溢れさせる。一緒にいるとどんどん新しい顔を見せてくれるから宮田は毎日はじめて見る表情をゲットしてこつこつコレクションしているような気持ちになれる。いちいち写真に撮るわけでもないからそのコレクションは宮田の目の奥に、記憶のなかにだけある。むしろスマートフォンのカメラロールのなかにはほとんどミドリの写真はない。ぼくたちはすぐに会える。学校で、公園で、ミスドで会える。だけど、ちょっとしたことで喧嘩してなんとなくそのまま家に帰ってしまった今日みたいな日は、ミドリの写真をぜんぜん持っていないことがとても不安になる。代わりにこのまえミドリが宮田のスマホを勝手に使ってコアラのマーチのひとつひとつの絵柄をひと箱ぶんすべて撮ってから食べて遊んでいたばかみたいな写真を、ベッドに寝転んで眺めているうちについに我慢できなくなって宮田は、ミドリに電話をかけた。
「あ、ミドリ、あの」
「ん」
「あのさ」
「いいよ」
「え?」
「わかったから」
「うん」
「大丈夫だよ」
「うん」
「わたしもごめんね」
「うん、ごめん」
「うん」
「ねえ、あの」
「あした」
「え、あした?」
「ううん、なんでもない」
「うん、あしたね」
「おやすみ」
「うん、おやすみ、ありがと」
「うん、ありがとう、じゃあね」

次の日、ミドリは高校を休んだ。ミクに訊いてもなにも知らないし連絡しても返信もない。宮田があたふたしていると、ミクはおもしろくなってきて、放課後に宮田をミスドに誘った。
「喧嘩したの?」
「うん、でも」
「でも?」
「仲直りもした」
「いつ?」
「その日の夜、電話で」
「かかってきたの?」
「ううん、かけた」
「へえ。えらいね」
「うん、まえのときは長引いてやだったから」
「そっか」
「ミクって氷食べるよね」
「うん、癖」
「そっか」
「やらない?」
「やったことない」
「たのしいよ」
「たのしいの?」
「あ」
「え?」
「ミクからだ」
「なんて?」
「『今ひとり?』だって」
「なにかあったのかな」
「『うん、ひとり』ってしとくね」
「まあ、うん」



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