日本からの世界平和実現(提言)

 先の戦争を経験された方は、今のロシアによるウクライナ侵攻に対して、かつての日本の加害と被害を思い出されているのではないだろうか。ロシアのウクライナに対する侵攻は、まさに日本の満州への侵攻そのものであり、ロシアのウクライナへの民間人攻撃は、アメリカによる日本への空襲、さらに原爆使用を想起させるものである。かつて、日本の暴挙を非難したロシアが、同じことをしていいのかよく考えてもらいたい。そして、その日本の結末がどうなったかも考えてもらいたい。自身の反省に基づいたこうしたことを、ぜひ日本のトップからも発信すべきではないかと思う。
 
 日本国民は、あの戦争を加害者、被害者として経験し、絶対に二度と戦争をしてはならない、あんな経験はごめんだと多くの人が強く思ったと思う。私の両親の戦争への嫌悪感や戦争経験者による子ども向け作品が世界や人類平和を願うものであった影響もあり、私自身もどうしたら人類が平和で幸せになれるのかについて考え続けるようになった。
 日本国民の戦争のない平和を望む思いは、制定された経緯にかかわらず日本国憲法に表現されたのではないだろうか。特に、その前文には、当時の日本国民の思いが詰まっているように思う。日本国憲法は、第九条ばかり注目され、あまり読まれることはないと思うので、ここにその前文を掲載する。
 
             日本国憲法 前文

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 この前文の最後に、日本国民の決意が示されているが、今まで国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成しようと行動した人は、たとえばアフガニスタンにおける中村哲さんのような方を除くとほとんどいないのではないだろうか。そして、最も影響力を発揮できる政治家には残念ながらいないように思う。
 今、ヨーロッパという世界的に注目を浴びやすいウクライナで起きていることはマスコミやインターネットの動画などを通じ連日報道されている。今まで戦争は遠いところのものと感じていた多くの人の目に触れ、戦争を少し自分事として考えられるようになったのではないだろうか。このような中日本は、かつての加害・被害の経験も思い出し、今こそ国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成に向けて行動すべきではないだろうか。
 今回のロシアのウクライナ侵攻も、NATOの軍事力を恐れての行動である。北朝鮮が核兵器、ミサイルの開発を急ぐのはアメリカの軍事力を恐れてのことである。日本も中国、ロシア、北朝鮮の軍事力に対抗すべく軍事力強化が必要と言う人もいる。防衛のための軍事力は、相手からすると自国への攻撃力強化とみなされ、軍事的脅威となる。したがって、相手も更なる軍事力強化に動く。こうして軍事力強化の負のスパイラルにおちいる。矛盾の故事のように、「相手のどんな軍事力にも対抗できる軍事力」は永久にできないのである。使用が人類滅亡にも繋がるので核兵器なら抑止力になると言うかもしれないが、今回のロシアは核兵器を使うぞと脅すことで、全面的な反撃を受けずに侵攻を続けている。本気で核使用を訴える者がいれば、何の抑止力にもならない。もし現在世界の非武装化がなされていれば、ロシアのウクライナ侵攻はできず、北朝鮮も軍事力強化する必要がないのではないだろうか。また、ウクライナの悲惨な状況を見れば、なぜ人間は兵器など発明したのかと思わないだろうか。
 実は、私は日本国憲法の平和主義に重大な欠点があると思っている。平和を維持する方法が書かれていないのである。第九条には、戦争や武力による威嚇・行使を国際紛争の解決手段としては永久に放棄するとあるが、ではどうするのかは書かれていない。また、前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とあり、他国の自覚頼みになっている。人類社会全体で、平和を維持する法律、システム、体制などが必要なのである。
 そうした観点から、常任理事国の拒否権により戦争を防ぐことができない現行の国連体制変更を訴える日本の方針は正しいと思う。しかし、これだけでは不十分である。現在、国際刑事裁判所によるロシア国、プーチン大統領などの戦争犯罪の裁判を起こそうとの動きがある。しかし、現行のシステムではなかなか難しい面もありそうであり、今後こうしたことが確実に実施される法律、システム、体制が必要であろう。もちろんそうなれば、アメリカ軍によるミサイル誤爆による民間人攻撃なども対象となろう。
 以上の体制が整備されたとしても、独裁者による半ば自爆的、拡大自殺的な軍事力行使を防ぐことはできない。人間は、欲深く完璧ではないので、間違いを犯すし、一時の感情で行動もしてしまう。このようなことをも防ぐには、全人類社会の非武装化を推進するしかないと思う。
 私は、国連の安全保障体制変更、戦争犯罪の裁判の完全実施、全人類社会の非武装化を訴えたい。
 日本としては、過去の戦争の経験も踏まえ、今こそ世界平和のために、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成すべく行動しよう。まずは、声を上げることが大切であろう。

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