子どもにとって良い人とは
子どもにとって良い人とはどんな人だろうかと考えて、それは補い合い、妥協と追求ができる関係性を築ける人であると思い至った過程についての記事です。
きっかけ
2021年11月からパーソナルコーチングを受けていて、今週のセッションで「良い人」というキーワードが自分の中で昇華できていないのに乱用していることに気づきました。
親として子どもには良い人と関わって欲しいという漠然とした願望があります。一方で、自分自身が単に良い人とラベリングをされることに良い感情を抱いていませんでした。良い人というラベルを使っていますが、これは文字通り良いと思う感情のラベルであって、観測側の気持ちなので、ラベル付けする方向に依存してしまい、実態を正確に捉えることが難しくなっていると感じました。自分から見て良い人と自分のことを良い人と評価する他人とで、良いの意味付けは必ずしも一致しないはずです。
そこでコーチから「良い人」のラベルを剥がした時にどんな人と関わってほしいのか考えてみようとリクエストをもらいました。
パーソナルコーチングとは
自分にとってのパーソナルコーチングについては別の記事でさらに詳しく触れています。
thinking…
考えるにあたって、紙に子どもたちを描いて、その周りに関わってほしい人を描き始めてみると、まず一方的に子どもと関わる人と区切るのではなく、人の集団の中の一人としての子どもと捉えると、その集団において、どのような役割だったりを望むのか、と視点が変わった気がします。
どのように関わってほしいのか
自分ができること、得意なことで周りに貢献してほしい
自分ができないこと、苦手なことは周りから助けてもらえるようになってほしい
そのために必要なことは
自分にとって、得意なこと、苦手なことを見つけられるようになってほしい
自分にとって、得意なこと、苦手なことは、相対的であり、周囲の環境や時代によって変わるので、その変化に気づけるようになってほしい
どうしたら良いのか
自分の得手不得手の発見と状態の変化の検知のために、自分のセンサを磨いてほしい
子どものセンサ向上のために、親としては感じたことは否定しない
ただし、それをどう周りに対して表現するかについては、自分がどう感じたのか子どもに対してフィードバックを与える
つまり、センシングとフィードバックし合える関係性を構築できたら良いのではないか、という願いがあると思い至りました。
家族での関わり
家族という集団においても、これから先子どもたちが関わる集団の練習として、次のような関わりを試せたら良いのかもしれないと思いました。センシングとフィードバックを互いに行うことで、
互いの得意、不得意を知って、補い合うこと
補い合えないことは妥協すること、工夫すること
やりたくて仕方のないことは追求すること、そのサポートをすること
特に親が完璧ではなく、得意、不得意があって、夫婦同士や子どもを頼って補い合ったり、妥協する姿を見せるのは、子どもにとってすごく安心するという実感があります。子どもの前で親が明るく失敗している姿を見せると、よく笑います。その一方で、親がやりたいことを追求している姿も見て、子どもも好きにやって良いのだと感じてほしいと思いました。
まとめ
背中で語るという言葉もあるが、妥協と追求することで語る子育てが今の自分にとっての理想なんだろうなあと、こうして言語化することで一歩理想に近づいた感触があります。ただ、まだこの先をうまく言語化できないですが、理想に捉われすぎて窮屈になる未来も想像できるので、あくまで今の自分の視座においての理想であって、この先この理想が変わっていくこともしっかり持っておきたいと思いました。
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