SNS『DYSTOPIA』と文学について AI検閲と文学ロマン
SNS『DYSTOPIA』について
先日、夕方に楽器を弾きながらのんびりとテレビを付けていたときです。ぼんやりと横目で見ていた液晶に憶えのある文言が表示されました。それは、
「Big Brother is watching YOU」
でした。さて、文学を少しかじっている人であれば聞き覚えのある言葉でしょう。これはジョージ・オーウェル作のディストピア小説『1984年』の中に登場する言葉です。
興味関心の湧いた私は、楽器の演奏を止め、メディアの内容に注力することにしました。すると、どうやらAI系の話をしていることがわかりました。曰く、
SNSサービス『DYSTOPIA』の運用について
「AIによる検閲」が人間のコミュニケーションを統制する社会実験
『1984年』のオマージュとして作成
とのことでした。
このサービスの最終的な目標としては、言葉による暴行や傷害を「AIによる検閲」でなくそう、というもののようです。それで名前がディストピアとなるのですから、なかなか皮肉が効いているというものです。
SNS『DYSTOPIA』は成功するのか
さて、社会実験ということなので、一定の成果を見せなければやる意味はなくなってしまうでしょう。そして、私個人から言わせていただくと、相当厳しい結果になるのではないでしょうか。
まず、そう考える主な原因が二つあります。
既に似たような技術が広く使用されている
似ている、というだけで全く同じではありませんし、趣旨も異なるのですが、似たようなアプローチでの言論統制は今日様々なSNSで用いられています。
例えば、ワード規制はその最たる例でしょう。特定の文言を使用してはいけない、もし使用した場合は削除認定される、という旨の特化型AIこそがワード規制です。人種差別的な発言や誹謗中傷に対して有効であるこの規制は、今やそこまで珍しくない代物であると言えるでしょう。
『DYSTOPIA』の言論統制はそれとは少し異なります。『DYSTOPIA』では差別発言や誹謗中傷に対して削除規制を行わないようです。その代わりに、言葉を置換する。より柔らかい言葉に置き換えることで、鋭利で硬い言葉を軟化させるのです。誰かに都合の良い言葉に勝手に変えられる。
まるでニュースピークですね。『1984年』を読んでいれば多くの人はこれを想像するでしょう。
SNSというのは匿名性の多寡に限らず、自分の意見を外部に喧伝する媒体です。その内容が自分の本心でなくとも、SNSの言葉は自分の"言葉”であることには変わりありません。そんなSNSで、自分の伝えたい言葉が強制的に言い換えられてしまう現象が受け入れられるとは到底思えません。
それこそ、ワード規制のように、文言の削除やアカウントの停止処分といった明確な規制という処置を施したほうがより根本に近い解決策なような気がします。
一言で言えば、迂遠なやり方がすぎる。
人が集まらない
誰も勝手に言葉が書き換わるSNSなんてやりたくはないでしょう。明確な誹謗中傷を統制するのは必要だと思います。しかし、何を基準として統制しているのかわからない状態で、勝手に検閲されるだなんて憤慨ものです。
NGワードがどれが分からない、作品の書評などが勝手に書き換わる。こんなの面白くありませんよね。もしこのSNSに集まる人がいたら、私のような『1984年』が好きで集まるファンコミュニティとしてのSNSに成り果てることは目に見えています。
そこまで言うと、「じゃあ、規制内容を公表すればいいじゃないか!」と考える人もいるでしょう。ちょっと思い出してください。これ、『DYSTOPIA』ですよ。ディストピアが下々の人間に規制内容を懇切丁寧に説明するわけがありません。もし説明してしまったら、『1984年』のファンも離れていくことでしょう。
まとめ
以上の点から、SNSサービス『DYSTOPIA』は成功しないと考えられます。やり方が迂遠すぎて、言論統制を目標とする社会実験が成立しないのではないか。そして、そもそも人が集まらないのではないか。この二点はこのSNSを評価する上で重要な視点となると考えられます。
ただ、ここまで否定的な言葉を続けてきましたが、個人の感情を優先して述べるならば非常に面白い試みであると思いました。そもそも私も『1984年』のファンだからです。
社会実験としての一定の成果を挙げられるのかはわかりません。私は門外漢なので。しかし、小説を書いている筆者からすると、ロマンに溢れているように見えます。文字ではなくシステムでSFを表現する姿勢は大変素晴らしく心躍る試みです。なので、これからもその姿勢を忘れずに挑戦し続けてほしいと感じました。
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