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湖北桜紀行 その1

滋賀県長浜市高月町は僕が少年時代の大部分を過ごしてきた思い出の地。そんな愛する故郷の桜をレンタサイクルで巡ってきた思い出を綴る。

自転車を借りる

高月駅を降りて東口へ。観光案内所に寄ってレンタサイクルを借りる。通常の自転車が500円(+預り金)で電動アシスト自転車が1000円(+預り金)でラインナップされている。近々、電動アシスト自転車に乗り換える予定があり、届くのを前にした“実践的試運転”を兼ねて電動アシストで旅することにした。

↑今回借りた自転車
今回借りたのはヤマハ発動機の「PAS Natura」。ちょうど買い替えるものとシリーズが同じ。これはちょうどいい。いい“試運転”になりそうだ。

高時川の桜並木

まずはお目当ての高時川土手沿いの桜並木へ。ここの桜のトンネルは非常に映え、長浜のPRポスターに採用されたり、インスタグラムでも頻繁にヒットするほど、高月町一の桜スポット。
実はこの桜並木の一角には僕と妹、我が兄妹の桜の木も植えられている。名札が目印で妹のはすぐ見つかったものの、僕のは名札がどういうわけか見当たらず、名札を見つけても消えていたりしていたので確定は出来なかった。ただ、今年も綺麗に咲き乱れていたことは確認できた。

偉大な実業家の足跡を目の当たりに

↑ヤンマー会館
お次は「ヤンマー会館」。ヤンマー創業者で高月町出身の山岡孫吉氏によって寄贈された施設で、東阿閉(ひがしあつじ)地区の公民館として機能している。その外観はとても地域の公民館とは思えないほどの洋風建築で、塔の部分はまるで「夢の国のお城」のようだ。小学生のときあった「月っ子」という総合学習で一度訪れて以来2回目。孫吉さんのことは多く学習しているとはいえ、改めて、“世界の農業をリードした実業家”の足跡を実感できた。

西野水道の桜

そこからさらに「西野水道」を目指す。時は江戸時代(天保年間)。西野地区界隈では余呉川の氾濫が相次いでいた。農作物は育たず、飢饉も起こっていた。そんな現状を打破すべく、この地で育った西野恵荘(えしょう)という僧侶が山を掘削して、放水路を造ることを考えた。能登と伊勢から石工職人を招聘し、約6年の歳月で完成した。現在は新しい放水路が作られて、跡地は見学コースとなっている。
ここの入り口にある桜が見頃になっていて、セーラー服姿の中学生とそのおばあちゃん(?)が桜をバックに写真を撮っていたほど。小学校の校外学習以来2度目で最初は「西野水道」のトンネルに学年全員で潜入し、コウモリにビビっていたのが懐かしい。今回はさすがにそんな度胸は無いので入らなかったが、咲き乱れる桜を楽しむだけでも非常に良かった。

↑上から渡岸寺、小学校、中学校
その他にも、2ヶ所の古墳や、僕の母校である小学校、中学校のグラウンド脇、十一面観音の渡岸寺(どうがんじ)、余呉川のほとり、実家のある地区の神社周り、高月支所などなど。今やってるSNS全て使ってでも収まりきらない量の写真を撮り、さらに長浜でも豊公園などで撮りまくった。さらにグルメなど大量の写真を1人で撮りまくっていた。
今回は高月編だったが、この他、長浜で撮った桜、美味しいグルメを見つけた話などまだまだ綴り足りないことがあるので、それはまた今度ご紹介する。

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