音楽なかったら…
こないだ、YouTubeのショート動画を見ていたら、こんなのを見つけた。
お笑いコンビ「ラランド」のサーヤさんがドタキャンになって暇になって、マネージャーと2人で大阪の「新世界」で昼飲みしてるというもの。
その中でサーヤさんが川谷絵音さんなどとともにやってるバンド「礼賛」に関する話が出てきて、
この爆弾発言は面白くもあり、納得。どんな嫌なことでも笑いに昇華できるかといえばそうでもない。
動画ではさらに
オチがある嫌なこと/オチがない嫌なこと
というのも出た。だいたいこの2つを考えるが、考えてもオチが出なくて、後者になることって多い。
相方ニシダさんの怠惰っぷりはテレビやYouTubeで見れば面白いものではあるが、面白くできない怠惰さもないわけではないだろうし、エピソードを聞くと身近にいたら引くレベルのことばかり。
それだけ「オチ」を考えるというのは難しいのかもしれない。テレビを見ていると大阪では“笑いの本場”という性格上「オチに厳しい」とよく聞くぐらい。
もし「オチ」が浮かばない、なくてスベる、その可能性があるとするとどこにも行き場がなくなってしまうことになりかねない。しかし、サーヤさんはそれを音楽に変えている。
「礼賛」に限らず、そういうのを音楽に落とし込んでいるだろうものはたくさんある。
個人的にその一つだろうと思ってるのが「Hakubi」という京都のバンド。激情的で闇深い歌詞、それでもそこに照らしてくれるかのようなトーンの高いボーカル「片桐」さんの歌声。「オチのない嫌なこと」を浄化している最たるものだと思う。
「嫌なこと」に「オチ」をつけるか、音楽に浄化するか、それとも他のことに昇華するかいろんなやり方がある。それでも、
良い方向に働かせないと闇になって自分を苦しめてしまう。
というのは共通項なのかも。僕は自分で音楽を作ることはできないし、大阪人ほど面白くすることもうまくできないでいるが、今こうやってnoteに綴るという手で昇華している。
嫌なことを嫌というだけなら簡単。だからこそ、こうやって頭を使うことって大事やなぁと思う。
ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。