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型のない討論と学び

「NHK党」の立花孝志党首が『報道ステーション』の党首討論で起こした一悶着。「ウクライナ侵攻」を踏まえて「国民をどう守っていくか」を繰り広げるというものではあったが、“番組のメイン”大越健介キャスターから指名された立花氏はこれをガン無視して「テレビは核兵器に勝る洗脳装置」「言論統制」「恐怖を感じる」などと一方的な主張を繰り広げた結果、強制終了させられたというもの。「放送事故」としてツイッターでは話題になり、「最高だ」「一本取った」などと立花氏を擁護して、テレビやメディアを悪く言う人が多数いた。でも、僕は擁護できない。それに、こんなことがまかり通っていいのだろうか。

前代未聞で言語道断

党首討論において感情的になったり、人の話を遮るなどのトラブルはよくある話だが、180°違うような趣旨や話題をいきなり持ち込んで、その場で仕切っていたメインキャスターの制止や立花氏が頂いたという「手紙」におけるプロデューサーからの要請を無視して、一方的な主張するのは前代未聞の事態。おまけに言語道断だ。メディア批判する以前の問題にも思う。

仕切り役の冷静ぶり

そんな事態でも大越キャスターが冷静沈着だったのは個人的には脱帽だった。元々NHKでもこうやって仕切っていたし、不測の事態でもこうやってなんとか乗り切れたのだろう。見るに耐えない状況でも伝え手がまず落ち着きつつ、暴走する立花氏に非常ブレーキを掛けているようなその姿を見た僕はこれも一つ見て盗んでおきたいものだった。これらの行動を「メディアのボロが出た」という趣旨のツイートもあったが、大学で討論とか、会議、プレゼンであんな荒らしみたいなことをされたら「遮ってでも止めるやろ」と思える状況だ。

型破りと形無し

型があるから型破り。型が無ければ、それは形無し。
https://fanmake-blog.com/?p=1654

という18代目中村勘三郎さんの言葉があって、4代目市川猿之助さんもテレビでそう言っていた。それぐらい社会や業界における常識や基本型を学んだ上でないと「型破り」という良い刺激やより良いものは生まれない。むしろ、基本無しに破ろうにもそもそも型が無くては弱い。それは討論や政治全体でも一緒なのかもしれない。

1つだけでは…

立花氏の起こしたことはテレビだけでは無く、世間の多くを敵に回したと言える。陰謀論的なのはそれこそ「洗脳」のようなことで、ブーメランを受けたようなもんだ。そもそも公約が「NHKスクランブル放送実現」のただ1つだからなかなか安全保障とか国民生活という身近な政策には疎いみたいだし、今回の一件でこういう場に呼ばれることは今後無くなりそうな気はするし、あんな釘刺しても予定調和を崩してクオリティを悪く「形を崩されたら」作り手はいろいろたまったもんじゃないから。

「マスゴミ」に代表されるように、ネットの世界ではテレビの報道についてほとんど擁護されないことがほとんどだ。noteならそこそこマシなんじゃないかなんて思ってる僕ではあるが、正直どこまで伝わるかよく分かんない。それでも、「伝える」というスキルに関してはニュースキャスターや記者などから学ぶことだらけだし、一番難しい立ち位置でプロたちはやっている。あんな見てらんない事態において「伝え手の力」を改めて感じる良い出来事だったと思える。

ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。