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あれから16年

2005年4月25日の午前、宝塚駅(兵庫県宝塚市)から同志社前駅(京都府京田辺市)に向かっていた7両編成の快速電車(上のサムネと同型)がJR福知山線(愛称JR宝塚線)塚口〜尼崎間にあるカーブを制限速度を大きく超える速度で進入。電車はカーブを曲がりきれずに脱線した。そのうち、前の2両が線路脇のマンションの駐車場に突っ込み、原型が分からないほど大破した。運転士を含む乗員乗客107名の尊い命が失われ、562名のけが人を出し、JRグループ発足後史上最悪の列車事故となった。
この当時小学2年生だった僕もこの惨状をリアルタイムで見ていた。今でも、関西ローカルの報道番組ではこの事故の前後で遺族の現在などの特集が行われている。それぐらい一大事で、風化させてはならない出来事であることが窺える。

勤めてみて

事故から月日が流れ、大学生になった僕はJR西日本で3年半駅員としてアルバイトをすることとなった。研修や勉強会では、事故を機に制定された『安全憲章』や過去に起こったトラブル事例を例に、安全に列車を運行できるようにするための心得やもしものときの適切な対応などを学んだ。実際にアルバイトではお客様や列車の安全に気を配りながら、日々の仕事に励んでいて、良いことは評価され、ダメなことはきっぱりダメと言う感じが僕が勤めていたときの雰囲気だった。周りの駅員さんで手を抜いているような人はおらず、真面目に前向きに働いている印象だった。また、「あの日を忘れない」という思いから、事故発生日は社員全員が特に神経質になり、仕事に臨んでいる姿も印象に残っている。3年半勤めていた間の中でだけだが、「あのときから変わっていない」など悪い印象は抱かなかった。

テレビで

この日の前後に関西ローカルのニュースでは事故の遺族や被害に遭われた方などに取材した特集が頻繁にやっている。見ているとJRはあのときから変わってないんだなどと企業体質に批判的な意見を目にすることがある。これを見ている元社員の僕は肯定的に捉えるべきか批判的に見るべきか迷うことがある。以前あったと言われる懲罰的風習は勤めていた期間は見かけなかったし、事故直後に変更されたダイヤは余裕を持てるように延ばされ、車両もより安全に造られているなどの部分では変わってるのではと思う。ただ一方で、大切な人を失った、けがでショックを受けたことや担当の社員の方の態度、数年前に新幹線の台車に破断寸前の亀裂が見つかった重大インシデントを見て、このような批判が出てしまうのは否定できない。個人的には1人で難しく考えてしまって堂々巡りになってしまう。
それでも先日、関西テレビのニュース番組『報道ランナー』でJR西日本の経営戦略を中心に特集していたときに、事故の継承の課題についても合わせて取り上げていた。「風化させない」ことの難しさを感じるとともに、事故以前から勤める方々の努力を垣間見えたように思う。「誰でもミスはあることが前提」「ミスをどう未然に防ぐか」という人間の本質に沿った文言などもあって、我々が教えられたことは伊達じゃないし、生きていく全てのことにも応用できることもあって、改めて安全教育の真の意味を感じることができたし、こういう部分を取り上げてくれた報道ランナーにはありがたい学びを得られたと感謝したい。

事故の加害側であるJR西日本に勤め、今日がどれほど大事なのかは入ってみてかなり変化したような気がするし、「安全に運行すること」の大切さを感じているように思う。インシデントがあった直後の勉強会では、「異常を感じたら躊躇なく列車を停めろ」ということを叩き込まれたのも覚えている。
とはいえ、この文章は会社の体質を概ね肯定していると見られているかもしれないし、そもそも鉄道ファンの僕だから説得力が無いのかもしれない。ただ、3年半とはいえ、僕は現場の実際を一番近いところで見てきたわけだし、幾度となくJRを利用してきて、乗務員、保線などいろんな社員さんの仕事風景を見てきた。また、変わらないと言われながらも少しずつ変わっている部分は目に見えてあるわけだし、自分自身も社員として不甲斐ない思いをしたことはない。その上で、今のJRに対して感じることなどを綴ってきた。あのような悲惨な事故は2度と起こしてはならないし、風化させてはならないのはもちろんのこと。社員ではない今、これからも鉄道の安全を願い、1ファンである僕自身も安全に列車を運行できる一助になるようマナーを守って趣味に励み、もしものときはすぐ止める勇気を出せるよう、鉄道を利用していきたい。

そして、あのような事故が二度と無いこと、さらに安全の進化がより良くなることを願ってこの記事を〆ることとする。

ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。