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京滋の113、117と思ひ出。

湖西線や草津線、琵琶湖線などを走った「113系」「117系」という2つ電車が2022年度いっぱいでこれらのエリアから引退した。京都、滋賀という身近な土地を駆け抜けたこれらの車両に対しては良い思い出がかなりたくさんあって、身近な電車ほど想いが溢れてくるもの。

5歳での出会い

緑とオレンジのツートンだった頃の113系。

初めて見たのは滋賀湖北に住んでた5歳ぐらい。最寄駅から琵琶湖一周して、「永原駅(長浜市西浅井町)」に折り返しで止まっていた「113系」が印象に残っている。写真と同じ「みかん」のような「カボチャ」のようなツートンカラーだった。その後、京都へ行った際に湖西線の「117系」も何度か目にしていたと思う。でも、故郷である「北陸線」は電気の関係で範囲外。「琵琶湖線」に至っては米原や長浜までの乗り入れは2004年までに消えて、全て「JR生まれ」となっていた。それ故に湖北に住んでいた頃はあまり身近ではなかった。

弓道の試合で

それから月日が経って、高校時代。この頃には列車通学をしていたが、「新快速進出」に伴って全て「JR生まれ」。

「カフェオレ」と呼ばれた113系。新快速と同じ座席に取り替えるなど大規模なリニューアル車両。後に緑になった。
新快速カラーの117系。このツートンは現在の新快速にも受け継がれている。
山科駅にて。このときは大津京駅まで乗って皇子山というとこの弓道場へ。
緑になった117系。
コスト削減という意味合いがあったとかないとか。ネット界隈では異論が多かったけど。慣れてきたら馴染むもの。
113系もこうなった。
石山駅にて。大会向かう途中の1枚。

でも、弓道の試合などで大津市内に行った際には、新快速から乗り換えた先の普通列車が草津線からの「113系」だったり、帰りの列車を待っていたら隣に草津線直通の「117系」がいた。ただ、帰りは乗ることはなくみんな一緒に後続の「JR生まれ」の琵琶湖線電車に乗っていた。

安全を守った大学時代

それから大学になると距離感が一挙に縮まる。

京都駅0番のりばから発車する草津線柘植(つげ)行き。
夜の草津線。
たまたま見れたこんな行き先。「城崎温泉」に改称する前の駅名。

駅員のバイトをしていた僕。ちょうど勤めてた時間帯には京都方面で2本、これらの車両が各々やってくることがあった。「JR生まれ」だと「車外スピーカー」が付いている一方で、2形式にはない。車掌が笛で鳴らし、僕の駅放送がアシストすることで安全を守っていたような気がする。ちなみに勤めてる間はこれらの車両に何かトラブルがあったことは無かった。

音だけでノスタルジー

それ以降も時折、湖西線や草津線で乗ることは多々あった。

特に、かつて北陸線を駆け抜けた「白と青帯の国鉄電車」を思い出す豪快に爆音を奏でるモーター音はどこか懐かしかったり、バンド好きになった今だと「ライブハウス」のような「楽しい爆音」というのもあった。ただ古いということもあって「潮時かなぁ」という気はしていた。

淘汰され…

『森の京都QRトレイン』。新快速から移籍し、全面ラッピングが施された。
宝塚線からの移籍組。茶色帯の太さと編成番号が「R200」番台を名乗っていることで見分けられる。

それが現実になった去年。「減便」によって余った車両が「新快速」「宝塚線」から続々京都へ移籍。順次本格活動を開始して、淘汰も進み出した。

青のグラデーションが異彩を放つ223系。
こんなコラボ、夢のまた夢のようやったのに現実になりよった。
タイプ違いだが、車内はだいたいこんな感じ。キャリーバッグのために1列削ってるが、この配置がラッシュにも有効なのだとか。

さらに、ファンを驚かせたのはこの「青い電車」。「関空快速」「阪和線」をメインに走っていた車両が2023年3月のダイヤ改正から京都、滋賀で本格始動した。性能、スピードは共通しているし、既存の「JR車両」との連結も可能。ただ、「暖地」である大阪や和歌山から冷え込みの厳しい京都に移ったし、湖西線界隈は豪雪地帯でもあって、冬を乗り切れるのかが今から心配だ。ただ、ラージな立席キャパだから活躍も期待したい。

つい数日前。「黄○」という独自の乗車位置が目につくから狙いやすい。

それから2週間は2形式も居残ったが、年度末という節目で完全淘汰と相なった。

ブランクありつつも小さい頃から馴染みあって、いろんなところで目にしたり撮ったりしてきた。「音鉄」である僕にとってみれば、小3の頃に故郷である北陸線から消えてしまった音がこの2つで聴くことができたというのはかなり貴重だった。民営化から30年以上で続々と消えてはいるが、「西日本」は車両を大事に使う傾向からか良い意味でしぶとく残っていた。

黄色の113系。でも、色一緒でなかなか区別できん😅
北近畿にいる緑の113系。こちらも意外としぶとい。

この時点でも完全引退ではなく、近畿北部や山陽方面では引き続き活躍している。とはいえ、引退寸前の方が「焦って何も考えない人」が増えてしまうから早め早めにで会いに行く方が良さげだ。

とはいえ、終わりが来るとなると「ついにここまでかぁ」と名残惜しい。そして、心の奥で

思い出と小3までのノスタルジーをありがとうございました。

と静かにメッセージを贈りたくなる。「サイレント引退」だから個人的に納得する良いお別れができた。

でも、今度京都鉄道博物館にやってくるから、ここがホンマのお別れやけども。

ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。