夜のはなし

去年の4月から、人生で初めて知らない土地で一人暮らしを始めた。

22年間生きてきた場所は、都会ではないけれど極端な田舎でもない。田んぼのあぜ道を通って通学したこともない。平たく言えば閑静な住宅街だった。だから、アルバイトが終わって夜家に帰る道は、街灯がぽつぽつ光っていて、コンビニが1つあるだけだった。静かで、嫌なことがあって泣いていても気分が乗って歌っていても自分しかいない、そんな道だった。

ひとり暮らしを始めた土地は都会と田舎の半々で、もちろん今まで住んでいたところより建物の高さも行き交う人も電車の本数も圧倒的に多い場所だ。最寄り駅周辺には大通りがあって、車も多い。居酒屋が連なっていて常にだれかの声がする。

私にはここは眩しくて、うるさすぎるのかもしれない。

土地の合う合わないはおそらく誰にでもあると思う。でも、少なくとも私にここは苦しすぎる。夜に静けさがなくて、街灯だけでなく看板がギラギラと光っている。酔っぱらったサラリーマンや大学生が道で楽しそうに話していて、マンションの上の階の人が深夜になってもくっちゃべっている。

人が多いので一人で泣きたくても泣けないし、家まで我慢しなくちゃいけない。暗い道ならバレなかったのに。人通りが少なければそんなこと考えなくてよかったのになぁ。

夜はどうしても人恋しくなって寂しくなるけど、他人の声がするのは単なる恐怖で、人が多いからと言って寂しさがまぎれるわけでは決してなくて。むしろ大勢の人を見て「でも私は一人」と余計むなしくなることが増えた。

憂鬱で寂しくて、苦しい。

眠れない。

ベッドの中で夜がずっと続けばいいのに、と思っていたあの頃がなつかしくて羨ましい。いまは、あの頃の自分の部屋にしか居場所がないような気がししていた。

新しい土地での数少ない居場所は、2つのバーだ。1つはお客さんがあんまりいなくて、マスターと訥々と話すための場所。もう1つは人気店だけどうるさくなくて、マスターと美味しいお酒を発見して遊ぶための場所。

バーで一人で飲んでいると、物珍しいのか他のお客さんが話しかけてくれることがある。マスターやその人たちはだいたいいつも決まってこう言う。
「一期一会」と。

なんだか小学生の頃にそういう言葉が流行ったな。「心友」とか、そういう類の言葉だな、なんて面白おかしく考えていたけれど、あまりにもいろんな人が同じ言葉を言うものだから、だんだんそうなのかも。と思えてきた。

バーの客層は少なくとも私よりずっと人生経験が豊富な方ばかりで、「ここで会ったのも何かの縁」とか、「一期一会だから」とか、「人生は縁」とか、そういうことをよく話していた。聞いたことはあるし頭ではわかっていても、実感はなかった。

干支が2周ほど上の会社員とたまたま一緒になった。会社の中の立ち位置や将来、人生についてとても悩んでいる様子だった。率直に、そんな歳を取っても悩みは尽きないのか、難儀だなぁと思った。

「この歳になったら誰からも褒められないし、指摘もされない。知らないうちに評価されていて、知らないうちに結末を決められている」と言っていた。だからこそ、自分で「なんとかする」しかないと。

サラリーマンって辛い。

2周も下の若者なんて、身近にいるとしたら部下と上司という関係性で、気軽に愚痴や意見を言える相手ではないらしい。私と彼とは何も関係がないただの赤の他人だから、何も考えず思うことを話した。会社って面倒ですね、とか、飲み会はつまらないので残業代出して欲しいです、とか。

彼は若いのが何も考えず本音をぶちまけている様が新鮮だったのか、抱えていたはずの頭を上げて色々なことを私に聞いてきた。
「マスター、最後に一杯」を3回くらい言って彼は帰った。

全部聞いていたマスターは「あんた、本当にいい育ち方したよ。親に感謝だよ」とポツリと言った。

新しい土地はまだ慣れないけれど、私が心を許せる夜はここにもあるかもしれないと思った。誰かの人生を垣間見て、ケラケラ笑って話して。
そんな夜が私は嫌いではないんだなと気付いた。

人生初のボトルキープは22歳だった。
これからの人生は、自分の機嫌は自分でとって、なんとか生きていかねばならない。
苦しい夜もうるさい夜も重い夜もこれからたくさんあるのだから。




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