グライダーで空を飛ぶ

 何度も読み直した本のひとつが、外山滋比古『思考の整理学』だ。その本で最初に出てくる章に「グライダー」というものがある。そこでは、学校教育を主な例として、受動的に知識を得ることをグライダーに、自分で物事を発明し、発見することを飛行機に例えている。言われた通りに物事を進める能力だけに長けている人は、今後コンピュータに仕事を奪われるといった文章で締められており、著者はグライダー兼飛行機のような人間になることが理想的であるとし、続く章でそのためにどのようなことを心がければよいかを考えたいと述べている。

 確かに、人間よりもコンピューターやAIの能力の方が優れているかもしれない。演算処理はもはや、コンピュータには到底かなわないし、チェスだってゲームだって、コンピューターと戦う時代だ。コンピューターは難易度設定までできる。自らの力を調整して、「わざと」間違った手を打つことだってできる。すごすぎる。

 グライダーは一人で飛ぶことはできない。凧あげのように、引っ張り上げられないと空には上がれないし、翼をあげてもらわないと、平行にすらならない。しかし、私は、それが楽しいんじゃないかな、なんて思う。
 ひとりでは飛べないから、色んな人と関わる。仲良くなる。話す。時に、「なんだこいつ」って思っても、ぶつかっても、結局「いい思い出」に昇華される。
 例えこれからコンピューターに感情が生まれたとしても、多分、ひとりですべて済ませてしまう彼らは、孤独なんだろうと思う。

 グライダーに乗ったあとは、風や自然を体感できる。エンジンがないから風の音がする。地面と機体が擦れる音がする。上昇気流や下降気流、教科書で学んだ知識。それをより身を持って体感できるのはグライダーの醍醐味なのではないか、なんて思う。

 最後に、グライダーであっても、引っ張られて空に浮かんだ後は離脱する。ロープを切り離すのである。ある程度までお膳立てされた環境であっても、いつかは自分の力で、目で、感覚で、経験で、知識で、飛んでいかなければならない。

「グライダー」な僕達も、いつの間にかひとりで飛んでいるんだなぁ。私は、いつまで「グライダー」でいられるのだろうか。助けてもらいながら、支えてもらいながら、多分ずっと「グライダー」のままだ。

 

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