1000年後の娯楽

去年の年末、上野動物園でパンダを見た時の私のツイートです。
とても寒い日で、震えながら上野を歩いていた記憶があります。

この時に色々考えていたのですが、もし、動物園が「ものすごく可愛い希少な人間」として橋本環奈さんを展示していたら、大変なことです。

ーガラス張りの檻の中で過ごす橋本環奈を人々が囲み、スマホを手に写真を撮っている。
台の上でごろんと寝ている橋本環奈。寝静まったまま中々動かないので、動き出す時を今か今かと待ちわびる観客。
そして橋本環奈が可愛い表情をするたびに、周囲からはワーッと大きな歓声が上がる。ー

これはまずい。
なんというか、"闇"の臭いがします。
上野動物園とは違って国営施設ではないでしょう。
むしろ、決して国には見つからないような場所にあるに違いありません。
こんなことは明らかに橋本環奈さんの人権を無視した行為であり、現実には絶対にあり得ません。

本当でしょうか。
本当に、絶対あり得ないことなのでしょうか。
検討するために、時を遡りながら考えてみます。

・古代ローマに存在していたコロシアム。
そこでは奴隷同士の命をかけた決闘が行われていた。
その中で勝利を勝ち取り続ける奴隷は、人々から侮蔑の目で見られると同時に、スターとして羨望される特別な存在であった。
・平安時代の日本。
一般的にその頃の貴族たちは1日2食の生活を送っていた。
労働者階級においては運動量の多さから貴族より食事の回数が多く、現代と同じく1日3食だった。
貴族が早い時間から食事を摂っている肉体労働者の様子がおかしくて笑っているという表現が随筆の中に出て来る。(何に書いてあったかは失念)
・西部開拓時代。
新大陸からあらかた金が掘り返されてしまった後はタバコ、砂糖などの嗜好品や綿花の栽培が盛んになった。
砂糖の大量生産により、コーヒーや紅茶の消費は増大。
当時、機械式農業は存在していない。朝から晩まで機械のように働く奴隷が必要だった。
ここからアフリカの黒人奴隷市場が発展して行くようになる。
奴隷の労働に支えられ、イギリスでは一般民衆に至るまで優雅なティータイムを楽しむようになったのだ。

引きます。やっば。
少し前に生まれて初めて歴史にはまって色々調べていた時期があったのですが、なにせ学生時代は授業中は基本的に寝ていて、世界史のテストでロシアの政治家の名前を問われる問題に『なんとかコフ?』と回答してみたり、日本史のテストで日本の歴代首相名を問われて初代の『伊藤博文』以下を全て『原敬』と回答したりする(文字数が少なくて書くのが楽だから)ふざけた生徒だった私は歴史についてほぼ全く教養がなかったもので、ありとあらゆる歴史上の出来事にまっさらな気持ちで引いていました。
この記事で現在にも根深く残る差別などについて論じたい訳ではないので生々しい話や現代に近いところの例を挙げるのは避けましたが、とにかく人類の歴史を振り返ると差別と侵略の話がほとんどを占めているなと感じました。
大半、人権なんてあったもんじゃない。
それで、基本的にずっと揉めてる。

でも、生まれながらに既得権益を獲得している人間が自分の身を危険に晒す覚悟で他者に自らの恩恵を全て分け与えるなんて、出来るのでしょうか?
聖人としては正しい態度ですが、人間としては自然でないような気がします。
利他的になれるのは余裕があるからです。どんなに優しい人も、余裕が無くなれば人のことなんて考えられなくなります。
人間が生き物の一種であり、自分の生命や健康を維持するという本能がある以上、まず第一に我が身が可愛いのは当たり前です。
だからもし自分が身分制が廃止された今の日本に生まれずに、例えばはるか昔の時代に生まれていたら、そして被支配者階級ではなく支配者階級に生まれていたら、その事実をごく当たり前に受け入れ、奴隷の身分に生まれた人の立場や気持ちなんて考えもしなかったのかもしれないと思ったのです。
今、橋本環奈がパンダ舎に展示されていることについて、当たり前に引いているように。(※されてません)

テレビの見過ぎを注意されていた子供時代。
しかし、今となっては同世代以下ではテレビを持たぬ人が増えました。
私もその一人です。この間、趣味のテレビゲームをやるために古いテレビを実家から持って来ましたが、テレビ番組を観る習慣は中々付きません。
"当たり前"は意外なほどに素早く変化して行きます。
きっと今、私たちが信じ切っている価値観も、時や場所を変えれば簡単に変わってしまうようなものです。
歴史の色々を調べていたことをきっかけにこの記事も書いた訳ですが、知れば知るほど社会はどんどん移り変わりながらここまでやって来ているし、人間の本質はずっと変わらないんじゃないかと思えてきました。

今は社会の変革期だ、なんて言われたりします。でも、社会の大きな変化なんて、本当はいつだってすぐそこに迫っているんでしょう。
私はまだそんなに長く生きたわけでもないけれど、自分が生きて来た時代を振り返ってもそう思います。これからも、今までと同じように変わりゆく時代を眺めながら、本質的には特に変わらない自分、そして変わらないペースで年を取って行くことを楽しみにしています。

果たして未来の地球では、人類はなにを楽しんでいるのでしょうか。
多分、パンダではないと思うんですよね。

ー西暦3000年。最近は、誰の権利も侵害しない娯楽として『バーチャルリアリティーお花畑』が流行中。
「生態系を乱し、更に植物の権利を侵害する」という理由から、地球上での花の栽培は条約により固く禁じられているからだ。
VRお花畑では特殊な電波を通じ、手元のデバイスから脳内に直接映像が送信される。
目を閉じれば、風にそよぐ一面の花畑のイメージが頭の中に広がって行く。人々はそれを日々の心の慰めとしているのだ。
しかし、草花を娯楽として消費するという行為は大変残酷であり、人々の精神に有害な影響を与え得るとして、多くの植物保護団体からは強い反対意見が出ている。ー

…かもしれない、とか思っています。

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