なんでもないケの日を一生懸命生きる
私はイベントが好き。
誰かの誕生日や、何かの記念日はお祝いしたいし、クリスマス・お正月などの季節のイベントも楽しみたい。
なんでもない日に、いつもとちょっと違うことをするのが好きで、何かを作ってみたり、ちょっと遠くに出かけてみたり。なんでもない日が、急にいつもと違う特別な日になる感じが好きだった。
イベント好きは、生まれつきのお祭り好きと、飽きっぽくて色々なことに興味が湧く性格が故だと思っていたが、最近ちょっと違う気持ちに気づいた。
今年の1月に息子くんを出産して、一昨日で5ヶ月が経った。明日のことさえ想像できない日々、今この瞬間の我が子と向き合い続けるしかない毎日を過ごしていたら、あっという間に今日まできた。
5ヶ月の日を迎えて、それまでの写真を見ながら日々を振り返ると、バタバタの日々をたくましく成長していく息子くんの姿がそこにはあった。
あ〜、生まれてすぐはこんなにふにゃふにゃだったんだ。
一緒に退院できなくて、泣きながら病院を出たな。
毎日病院に通って、母乳を届けたっけ。
声が出るようになって、表情が出てきて、寝返りするようになって・・・。
ここまでの日々のことを、”5ヶ月”という節目に振り返ると、なんだか色々な感情が溢れ出てきて涙が出た。
自然とありがとうと言う気持ちが湧いてきた。
それと同時に、『ハレとケ』と言う言葉を思い出した。
SNSで見る世界は、ハレばっかり。みんなが毎日特別な日を過ごしているように見えて、「わたしも何かしたい」と言う漠然とした欲求を埋めるために、あれこれお金と時間を使っていた時期があった。
毎日をハレの日のように過ごそうとして、心身が休まらず、満たされず、何かが足りないといつも思っていた。
毎日がハレの日なんて、今考えれば無理に決まってるし、別にパーリーピーポーになりたかったわけではない。あの時の自分は、なんでもない日常=ケの日のありがたさ みたいなものをわかっていなくて、ただ刺激だけを求めていたんだと思う。
今、息子くんの節目で思い返すのは、ケの日々。
ミルクをあげ、おむつを変えて、保湿クリームを塗り、抱いて、添い寝してまたミルクをあげる。そういうごく普通の日々。
だけどそんなケの日が、ものすごく尊く感じる。
当たり前の日常を思い返すと、ここまでやってこれたんだと充実感を感じる。
節目に立って、ケの日を振り返り、それまでの苦労を噛みしめて、頑張った自分や周りの人を讃えて、日々の有り難さや尊さを感じるためにハレの日がある。
ケの日があって、ハレの日を味わえる。ハレの日を味わうとまたケの日々に勢いが出て、毎日が少し楽しみになる。
毎日をハレの日にしようと躍起になるのではなく、ケの日をしっかりと踏み締めていくから、ハレの日が素晴らしい日になる。
そう言うことだよなと実感した。
子育てを発信するインスタを見ると、節目のハレ日は家を盛大に飾り付けて、手の込んだ食事やケーキを用意して、美しい写真をおさめるみたいなことがハレの日にやることであるように感じてしまう。
わたしはやっぱりお祭り好きだから、そういうこともしたいけど、それまでのケの日を振り返って、家族みんなでありがとう、おめでとうを純粋に伝え合える日にしていきたいと思った。
なんでもないケの日を一生懸命に生きて、また次のハレの日にありがとうをたくさん言って笑いたい。
少し日が経ってしまったけど、今日は旦那さんが帰ってきたら、息子くんの写真を振り返りながら、この5ヶ月に一緒に思いを馳せる小さいハレの日にしよう。
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