見出し画像

見えやすいCO2と見えにくいCO2

 どうも、いづつです。今回も環境の話を。初めて手書きの絵を描きました。
 
■CO2はどこにいるのか
 
 化学を心得ている人ならば、おそらく多くが今の環境問題に対する世の中の動向にイライラしているに違いない。なぜ二酸化炭素(CO2)を減らそうと言って、実際は増やしている言動不一致が横行し、しかもその活動を絶賛しあっているのか。

 私が思うに、原因はおそらく「大衆には一部のCO2しか見えていない」から。

 私は、10歳くらいの小学生のときにごみ収集場から運ばれていく古紙を載せたトラックの背後にある排気パイプを見て違和感を感じた瞬間から数えてかれこれ25年間くらいでしょうか、環境問題に興味を持ち続けている変わった奴でして、すっかりCO2が目に見える人間です。もちろんCO2は無色透明、無味無臭、人体に無害なので、実際にはそこにあることを認識できませんが、サーモグラフィーのごとくCO2グラフィーとでもいいましょうか、炭素とエネルギーがどこでどう移動しているのか察知できるくらいには勉強してきました。

画像2

(これってCO2増えてるの?減ってるの?)

◼️見えやすいCO2

 1985年のフィラハ会議で地球温暖化のCO2犯人説が浮上してから、IPCCによるとその確度がきわめて高くなってきたと言われる近年まで30年以上、さすがに地球上の人たちはある程度CO2について関心を持つようになりました。化学に詳しくなくても、以下のについては常識レベルで知っているでしょう。

- 燃料や木材などを燃やすとCO2が出る
- 植物は光合成でCO2を吸収する
- 生き物は呼吸でCO2を出す

画像2

(これくらいは知っている?いや、これくらいしか知らない)

はい、あっています。ほとんどの人はものが燃えるのを見たことはあるし、初等教育で植物がCO2を吸収し、動物がCO2を吐き出すことは学んでいるし、これらは理科の実験をしたので記憶に残りやすい。

 しかし、失礼を承知で私に言わせれば大衆のCO2の知識はこの程度しかなく、ひどく不足している。だから「植物を育ててそれをエネルギーとして使えば正味でゼロエミッション!」と言って絶賛されるようなおかしなことが起きます。

◼️見えにくいCO2

 そういう絶賛コメントを見つけるたびに

「現実は理科室の実験じゃねえ!」

と叫びたい。教養の高い人が集まりやすいNews Picksでも、サイエンスに関しては素人が大半。大衆が見落としているCO2排出がまだあるということをわかってもらわなければという思いで、さんざんこのnoteで環境問題の問題を指摘しているわけです。怒りの前置きはこのへんにして、大事なことを書いて始めましょう。

 見えにくいCO2というのは、何か。それは主に工場や農地といったあらゆる産業に潜んでいます。

 最もイメージしやすいのは火力発電所。当然そこでは直接燃料が燃えているので、まだ見えやすいほうのCO2発生源です。これは難易度最底辺。だからガソリン車だろうが電気自動車だろうがWell to Wheel (WtoW, 油田から車輪までのあらゆるエネルギーロスを加味した燃費計算の概念)で計算した燃費はほとんど同じだって議論くらいは聞いたことがあるでしょう。例えば自動車メーカーのマツダは内燃機関の乗用車ばかり扱っていますが、燃費に自信があるのでこのWtoW法で評価することを推進しようとしています。

 逆に認識難易度が高い例に移りましょう。「植物由来のプラスチックを作る工場でCO2が発生する」と聞けば、ハッとするのではないでしょうか。そう、植物からポリエチレンを作れば炭素の実質収支はゼロだと言っていたのは今日まで。その工程で大量の熱源と排ガスや廃液を処理するための水や消費材が必要で、それらの資源としてやはり化石燃料が投じられてCO2を排出しています。

 次の例は、「野菜や穀物の農園だってCO2を出している」です。植物を育てるのだからCO2は吸収する一方だと思っていたら大間違い。農家は野菜の品質を高くして収穫量を増やすために、種を土の上にばら撒いたらただ待つだけなんてことはありえません。あれこれ手入れをしています。そう、化学肥料、害虫駆除、農耕機などが欠かせません。当然これらは化石燃料のエネルギーを消費して作られていたり、動かしています。世界史を少し勉強すればわかることですが、18-19世紀の産業革命のひとつに農業革命があり、これは石油を使った効率化のおかげで食料生産が飛躍的に伸びたという変化です。いまの世界人口77億人を支える食料は石油や天然ガスといった燃料の下支えあってようやく間に合っている。CO2排出を減らそうとか石油の産出量を制限しようと言う人は、間接的に「食料生産を減らそう」と言って第三次世界大戦を歓迎しているようなものなのです。

画像3

 このように工場やプラントというのは魔法の箱ではないのでそこに投入するエネルギーが欠かせないとわかっていると、たとえ野菜でさえ完全放置の場合より多い収穫量を目指せばそこに直接なり間接なりで化石燃料を注ぐことになるのが理解できます。

◼️エネルギーとCO2と消費活動はすべて繋がっている

 では世の中に存在するあらゆるものに、それが完成するまでにどれだけのエネルギーが投入されてどれだけのCO2が排出されてきたか、簡単に知る方法はないのでしょうか。

 非常にざっくりとでよければ、あります。そのプロダクトやサービスの価格です。エネルギーは発生源が石油だろうが原子力だろうが自然だろうが、1ジュール(エネルギーの単位)はすべてほぼ同等な単価なので、価格が高いものほど多くのエネルギーが注がれて作られたと考えることができます。もちろん、値札に書かれた金額は需給バランスに左右されるところが大きいですからとても荒っぽい推定方法ですが、何も知る術がないよりよっぽどいいし、統計がマクロになればなるほど正確になっていきます。ちなみに人件費だってエネルギー代です。ヒトは食料を食べてエネルギーを得ないと動けないのですから。

 何かの消費にお金を払うことは、エネルギーを買うということと同じで、相応のCO2が出ているという、いくつか例を出します。

 まずソーラーパネル。固定価格買取(FIT)制度で設置が進んだものの中国産のパネルが価格競争で勝ちまくったから失策だという話こそよく見たり聞いたりしますが、そもそもの話としてソーラーパネルは本当にCO2を減らしているのかという話が欠けすぎています。ここまで読んでいただいたならお察しいただけると思いますが、指摘したいのは「ソーラーパネル工場から出るCO2は見えていますか」です。設備や人員の稼働に必要なエネルギーはもちろん、遡って部品、もっと遡って素材という単位まですべて合算した投入エネルギーはパネルの価格として現れています。すなわち「1000万円でソーラーパネルを買った人」はその瞬間、パネル生産工場で排出された1000万円相当の化石燃料から出るCO2もオマケで買ったのと同じ。その後CO2を出さない太陽光発電で少しずつCO2の借りを返済していくのですが、返し終わる前にパネルが壊れたり、上手に使って返済したと思っても廃棄費用を払ってまたCO2を買ってしまったりして、補助金抜きで考えて「赤字で終わってしまった!」とかいう場合「ソーラーパネルでCO2増やしました!」とかいう本末転倒な実態になるわけです。

 もう1つの例として、2008年のニュースを思い出してください。再生紙の古紙割合偽装の事件です。なぜこんなことが起きたのかというと、再生紙は儲からないからです。なぜ儲からないかというと、コストが高いからです。なぜコストが高いかというと、古紙の加工には新品以上にエネルギーを使うからです。しかし政治も大衆も、その工場で加工に使うエネルギー、工場から排出されるCO2などまったく見えていないし、Recycleは省資源化に貢献するに決まっているから再生紙が新品より高いなんてことはあり得ないと思い込んでいる。製紙各社は新品の紙という自社の競合製品を相手に再生紙を売らなければいけないというジレンマに陥り、政府に課されたノルマを達成するために偽装に走らざるを得なかったわけです。冒頭の私の小学生のときの違和感はこの瞬間、15年越しで正しかったと判明し、ますますCO2とエネルギーに関心を寄せていきました。

 何気ない買い物はすべてヒトが排出するCO2につながっているというのを理解してもらうために、ひとつ図を作ってみました。クマのぬいぐるみを買ったら、その時点でCO2排出を買ったというのが理解できるかと思います。

画像4

(お値段相当のエネルギーを買ったのと同じになるメカニズム)

例えばぬいぐるみを作るのに必要なミシンという機械は工場で作られていて、材料と人件費と加工費がかかっています。材料費はその材料工場の人件費と加工費という具合で連鎖していきます。人件費はすなわち食料代ですので、そのためにまた石油が投入されています。こうやってぬいぐるみ1個ができるまでを細分化していくと必ず直接または人件費を介して石油にたどり着くのです。だから1000円でクマのぬいぐるみを買うと、いままで他人が支払っていた1000円分のエネルギー代を負担したことになり、合算したCO2はぬいぐるみを購入した人が排出したことになります。そして当然ながら人口が増えれば増えるだけ、この細分化ツリーは大きくなったり増えたりするだけです。

■じゃあどうしたらCO2は減らせるの

 低炭素社会というワードも歓迎されやすいようですが、炭素でできた化石燃料が減れば、炭素でできた農作物が減って、炭素でできた食料が減って、炭素でできたヒトが減るしかないのです。なんてお粗末なキャッチコピーですこと。ヒトは毎日2000 kcalくらいのエネルギーが必要で、肉と野菜と穀物の形でそれらを摂取してはいますが、本質的には2000 kcalくらいの石油をグビグビ飲んで、脳と身体を動かすことに消費してCO2を肺から吐き出しているわけで、エネルギーや物質の収支だけ見ると実態はロボットと変わらない

 余談ですが、食事を含めヒトの生活をすべてひっくるめると1人あたり平均で1日5 kgの石油を飲んでいる計算。18L灯油タンク1個で3日生きられるくらい。燃費がいいのか悪いのかピンときませんか。例えばロボットのPepperが795Whのバッテリー満タンで半日動くとすると、石油換算で1日0.14 kgしか使わないので、37倍くらい悪いです。

 炭素でできたヒトが低炭素社会を本当に実現したければ、「ごみを減らす」という活動が堅実な手です。

 ごみが出るということは、それだけ余剰なエネルギーとCO2を買ってしまったということ。その点で言えば、世の中の営利企業も個人も日常的に努力しています。過剰な在庫を抱えない、利用価値の低い副生成物の収率を下げる、寿命の短すぎる製品は作らない、廃棄食品を極力減らす、いらないものは買わないなどです。出来ることは既にだいたいやっているので、あまり改善する伸び代がない。それでも何かやるとすれば、やはり過剰消費の総量として目に見えやすいごみが出ないような活動です。これを意識していれば自然と無駄な買い物も減りますから。なお、もっと過激に「産油量を減らす」「人口を減らす」という考え方もありますが、戦争が始まる可能性があるので却下です。

 ごみを減らすという観点ではいくつかの自治体がごみ袋を市町村指定にして有料課税化するということをやっていて、実はこれは地味ながら有効なコンセプトです。ただし、安すぎて意味がない。本当に購入をためらうレベル、例えば1枚20円くらいにしないとごみを減らそうという意識が発生しません。といってもごみ袋を高くしないのには別の理由があって、自治範囲内の消費が目に見えて減って経済に影響しては困るからです。住民に怒られない程度に金額を抑え、かつ少しでも税収を稼ぐことが第一目的です。環境問題のことなんかちっとも考えていないのです。ごみ袋で税金をとるのに高確率で秒でごみになるビラは禁止しないっておかしいと思いませんか。

 実は現代文明の中で最もエコな生活を実現している人たちというのは、1日わずか数ドルで生活するような引きこもりやホームレスだったりする。まだ走れるガソリン車があるのに新品の高価なハイブリッドカーに乗り換え、自宅の屋根の上にソーラーパネルを敷き詰めるような「エコ製品を集めている私偉い」とかいう人たちは、そういう消費の少ない人たちに比べて100倍や1000倍CO2を買っているのでお粗末この上ないのです。

■基本はReduceせよ

 Recycle, Reuse, Reduceという3Rが環境問題対策の基本と言われたりしますが、Recycle, Reuseの2つはその過程で見えにくいCO2を吐き出しまくっている可能性があるのでとても慎重にならなければいけない。素人でも唯一確実にCO2を減らせる、基本と言っていいのはReduceだけです。ごみを減らすもよし、買い物を減らすもよし、人口を減らすもよしですが、あとは戦争にならない線引きだけ考えていればよろしい。

 次いでReuseでしょう。ただし、運ぶという行為ひとつとってもCO2は出ますから、それが見えていなければいけません。ジモティーやメルカリで安く物を譲り合う中古市場は最高だと思います。

 Recycleは必ずそれなりの量のCO2が出ますから、とても慎重に検討してください。現在の技術でざっくりと判断ラインを設けるならば、「有機物のリサイクルはCO2を増やし、無機物のリサイクルはCO2を減らす」と考えておけばだいたいあっています。再生紙やペットボトルはアウト、アルミ缶やステンレスはセーフ、みたいに。

 さいごに私の持論で締めます。

「本当にCO2を減らしたかったら、Reduceが唯一、確実で堅実」

ありがとうございました。本稿の考え方に共感いただけたら、スキ、シェア、フォローなどいただければ幸いです。


Yoshiyuki IZUTSU

http://linkedin.com/in/yizutsu


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?