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アメリカ・ユタ州の『東方新聞』で四回目のリンヤンコラム「“呼吸”の“呼”について」

 アメリカのユタ州で最も影響力が高い中国語新聞で、リンヤンの連載コラム。1月は「呼吸」について書きました。
 原文は中国語、うちのスペシャル爺ちゃん(高校の世界史先生でした、『三国志』ファン)に日本語に訳して頂きました。

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 人は生きている限り呼吸をします。私たちの一生は“呼”と“吸”の間にあります。
 赤ん坊は生まれ落ちると、おぎゃーと泣きます。これが新しい生命の第一歩です。亡くなった生命を見送る時、私たちはいいます、“死者に安息を”と。

 呼吸は、私たちの内と外、体と心を結びつけます。呼吸と動作がぴったり調和した時、仕事や学習の効率を高めることができます。私たちが初めて書道を学んだ時、張浩波先生は立ち方を教えてくださるとともに、呼吸の重要性を強調されました。その呼吸は、一定の速度で、遅さと落ち着きを保ちます。書道の基本的な練習で必要なことは、紙いっぱいに太さ・細さのそろった線を書くことです。緊張したりいらいらしたりすると、その線が切れてしまったり、呼吸が乱れると、線が揺らいだりします。ただし、ゆっくりした呼吸を保ちながら筆を運ぶと、たやすく線の動きを掌握することができます。私が呉道子の「八十七神仙巻」を臨書した時、あの一本の長い長い着物のひだのような線の、そのひとすじひとすじを、ゆっくりした呼吸の力を借りて、ようやく完成することができました。 (これについて、文の最後で前のブログがあります)
     
   古今東西、呼吸に関する研究は数知れずあり、その呼吸法も多種多様です。馬王堆から出土した前漢時代の「導引吐納図」は、中国人には早くから呼吸を利用する智慧があったことを語っています。ただ効果的な呼吸は、考えればすぐできるというものではなく、一定の時間と訓練によってはじめて身につくものです。私の体験では、それぞれの方法にそれぞれの理論があると思います。呼吸法を何か神秘的で奥深いものとみるのではなく、実践的な反復練習を通して、体験の中から自分に合った方法を探し出せばよいのです。

 私が創立した「一水空」は、ゆっくりした動きと呼吸を組み合わせています。その特徴は、まず吐いてそれから吸う、長く吐いて短く吸う、内臓の運動を伴った腹式呼吸です。むきにならず、むだな力を使いません。

 一水空では、吐くことの意義がより多く強調されます。それは原点に回帰することです。それぞれの動作を始める前に、毎回息を吐きます。足をしっかり踏みしめ、重心を整えます。現代社会には様々なガイドブックやテキスト、情報があふれています。人々は毎日あわただしく、まるで行き先を見失ったアリの群れのように、走り回っています。私たちには自分で自分を調整する機会がないのでしょうか。その時々に、高い頻度で微調整を行っていくことで、私たちの原点を保持し、大きな方向を見失わずにすむと思います。

 一水空の動きは、吐くことで始まり、吐くことで終わります。吐くことは、吸うことより何倍も重要です。動作と呼吸の訓練を、努力して反復することによって、心の状態を調整することができます。

 吐くとは吐き出すことで、与えることを意味します。吸うとは吸い込むことで、取り込むことを意味します。より多く「吐く」ことは、私たちがより多く「与える」ことを助けてくれます。それは前回に書いた「松沈」と同じです。多く与え、多く捨てることで、私たちは本来の姿に立ち返ることができます。

 人は緊張すると、息を一気に吸います。リラックスする時は長くゆっくりと息を吐きます。先人は、呼吸を「吐息」「吐納」と呼びました。これは「吐く」ことの重要性を説いています。そもそも「呼吸」という言葉は「吐く」が先で「吸う」が後です。先人が決めたこの言葉の順序には、ちゃんと理由がありました。

 「息」という字は、「自」と「心」の組み合わせでできています。この「息」をどのように「吐く」か、これが私たち一人一人の心の状態を決定するのです。
 

 一水空について https://yishuikong.com/


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