ホン…ト,ワタシ。Vol.5『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(若林正恭)
その時時に出会う本によって、何の気なしに自己投射を余儀なくされることが多々あります。まるでそこに裸のわたしがうずくまっているような。
久々の更新になります。
緊急事態宣言が延長され、もう気持ち的には大分やられています。
解除になったときのために、いろいろ動き出そうとしていた矢先でしたから、それをくじかれるのが本当に辛いです。
前回の緊急事態宣言では、多くの本番の機会が奪われてしまいました。
そして、今回もまた同じようなことになっていて、本当に救われません。
特に活動もできないので、趣味であるアイドル関連のことは捗りますよね。
といっても番組を見てるくらいなのですが。
日向坂46の冠番組「日向坂で会いましょう」は、坂道グループの中でも飛びぬけて注目度の高い番組と面白さだと思うのですが、MCがオードリーなんですね。で、これがほぼオードリーの番組なんじゃないかって構成で賛否あるわけです。
それがきっかけというわけでもないのですが、偶然にも書店で
『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』
を手にとりました。
作者はオードリー若林正恭さんです。
芸人さんが書いた文章はおそらくピースの又吉直樹さん(火花、東京百景)に続き三冊目だったのですが、これがまぁなんて面白いことか。
どういうわけかこの資本主義について疑うような内容が斎藤幸平さんの『人新世の資本論』(詳しくはVol.7の投稿で。)に通じる部分があり、自分としても非常に関心のある内容だったので、その奇跡的な内容の繋がりにも感動したのでした。
当たり前だと思ってきた価値観をキューバ、モンゴル、アイスランドに訪れて考えていく紀行エッセイです。芸人さんらしく、笑ってしまいようなエピソードもあり、核心をつく内容もありとさすがのバランスで一気に読めてしまいました。
詳しい内容はさておき、このフレーズはここ最近の自分に刺さらないはずがありませんでした。
“売れていようがいまいがアルバイトだろうが何だろうが社会の分業の一つを担当しているということにまず胸を張れ。芸のことはその後だ。”
思うように活動できなくなった久しく、つい自分のこれまでの活動が、この選択が正しかったのかわからなくなっていましたし、今も続いています。
いやぁね、生き残る術はあると思うんです。
けれどもね、こうなってみて本当に自分の特徴なさというか中途半端さ加減に否応にも気づかされてしまって、それがボディブローのようにじわじわ効いてきているんです。
このことが、緊急事態宣言延長のことともあいまって、僕の気持ちを蝕んでいます。
正直、無力感ばかりで、何もやる気起きないんです。
こうした態度にね、どうしても出てくる「甘い」とか「こんな生き方を選んだお前の自己責任」とかね、そういった批判は受けますよ。自分でも納得しています。働けよ。と。
それにね、やってるひとはちゃんとこのご時世であっても、オンライン活用したり、積極的な活動をしてます。心から尊敬しかないのですよ。
けれどもね、そんな尊敬すべき彼らと同じ土俵に立って勝負できるかっていうと、これは需要過多なんじゃないかなとも思うのです。
それに、オンラインは声楽のレッスンだったり、指揮のレッスンだったり、楽典のことだったり、語学のことだったりを講座として開講されています。が、そのどれもをこの僕が教えるというモチベーションになれずにいます。というか、こんな僕程度の知識で金銭は取れません。
いやいや、じゃあなんでプロみたいなこと名乗ってんだよ。と。
自分で教えるレベルに達してるとも思えないのです。
自分の実力にまで嘘ついて、ペテン師のような活動で金銭を得るなんてこと、僕にはできません。
教えながら学んでいくこともあるでしょう。けれども、何かを教えられるほどの肩書を背負えるわけでもありません。
藁をもすがる思いでつかんだオンラインという試みがあった、ということは間違いないと思います。
でも、その藁にすらすがれない人がいたっていいのだと思いたいです。
なんで、みんなオンライン当然やるよね、みたいな空気感になっているのか。
もちろん、いくらオンラインに傾倒していたって、リアルは捨ててないことだって知ってます。
リアルができないからオンラインでも音楽を!って活動していることには何も疑いはありません。そこに新しい学びがあることも。
(実際にオンラインの恩恵は僕だってとっても受けています)
ただ、
当然オンラインは良いものだし、取り組まなくてもいいけど取り組んでたほうがいいよね
っていう、目には見えなくとも今はそれを称賛するしかない、有無を言わせないような象徴暴力を感じてしまって仕方ないのです。この気持ち悪さはなんなんだろう。僕が保守的なのでしょうか。僕が頑固なのでしょうか。柔軟性がないのでしょうか。僕があまりに言い訳をしているだけなのでしょうか。協調性がないのか。
自分で書いていて、何も努力してこなかって結果をただ悔しがっている阿呆のわめきごとにしか見えないことはわかっています。言い訳ばかりで、行動しようとしてないことも。
やってみたら、案外ハマるなんて未来も見えています。
そんな卑怯な自分に嫌気がさせていることも事実です。
「自分何てどうせ・・・」この気持ちがないわけないです。
そう考えているやつに、幸せは来ない。そんなことが何かに書いてありました。
世はこんな後ろ向きな気持ちを許してくれないのでしょうか。
こんな個人的で情けない感情はみせたくないことは当然あります。
こんなことを言い出す指揮者のもとにいたいと思うかと言われれば、僕はNOです。
そんなNG行為だとすらわかっています。
これを出してどう思われるのかをこれまでもたくさん考えてきました。
考えすぎて何も行動にも文章にもできませんでした。
いったんそういうことは抜きにして、このコロナ禍という時代に考え苦しんでいたという足跡のために、これをまずは残しました。
うだうだ、ぐるぐる、いじいじ考えているだけの弱虫を
見つけたらどうぞ指さして笑ってやってください。
“売れていようがいまいがアルバイトだろうが何だろうが社会の分業の一つを担当しているということにまず胸を張れ。芸のことはその後だ。”
某小学校での卒業式の歌唱練習をお手伝いし、なんだかとても喜んでもらえたことだけが最近僕をつなぎとめるほぼ唯一の出来事です。
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