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【テルマエ展】入浴を愛する心は、時を超える

5月9日、古代ローマの「お風呂文化」を中心に紹介されていた展覧会【テルマエ展】に行ってきた。
この展覧会は、絵画・彫刻・考古資料といった100件以上の作品と映像や模型を通して、テルマエ(公共浴場)を愛した人々のくらしを身近に感じさせる展覧会だなと感じた。

『テルマエ展』公式サイト|お風呂でつながる古代ローマと日本 (exhibit.jp)

序章 - テルマエ 古代都市ローマと公共浴場

序章では「テルマエ」とな何なのかを解説していた。

紀元前1世紀後半から大規模な入浴施設が作られ始めたローマ。それにより、ローマ市民は入浴の素晴らしさを徹底的に享受するようになった。

テルマエとは熱いという意味のギリシャ語「テルモス」に由来する。4世紀のローマ市内には大規模な公共浴場は11を数え、小規模なものは900軒前後にものぼっていたという。

滅んだポンペイにも5か所のテルマエがあり、2000年前から水道やインフラが整備されていたことがわかる。

古代ローマのテルマエと水道のマップ、ローマ市最初のテルマエを建設したアグリッパの石膏胸像なども展示されていた。本物はルーヴル美術館にあるとのこと。

第1章 - 古代ローマ都市のくらし

秤やパン、兜など当時の生活を想起させる物が博物館のように展示されていた。

しっかりとなぜテルマエが公共事業として作られたのか当時の時代背景を織り交ぜながら説明していた。

富裕層は広大な土地を所有し農作業は奴隷に任せ、都市に住んで政治活動に専念した。一方、土地を失った者は都市に流入し日雇い労働で生計を立てた。ローマには様々な階層の人々が暮らすようになり、格差が広がった。皇帝は大衆の不満解消のため、食糧施与や娯楽の提供を行った。テルマエも人気を博した。

「饗宴」と題し、当時のコース料理やその楽しみ方が絵画と器とともに紹介されていた。当時の装飾品の特徴(金属添加による多彩な色作り)の説明もあった。

第2章 - 古代ローマの浴場

カラカラ浴場は3世紀に建てられた有名なテルマエの跡地。運動場や図書館も併設された総合施設で、カラカラ帝によって完成された人気の公共事業だった。
カラカラ浴場は運動場や図書館、体を冷ます冷浴室もある総合娯楽施設。完成させたのはカラカラ帝。人々から人気を得る公共事業だった。床は色鮮やかなモザイクで彩られていたそうだ。

入浴道具としてストリギリス(体を擦る道具)、油やパウダーを入れるツボ、ガラス工芸品なども展示されていた。ガラス工芸はローマ時代に発達した。古代ローマ人の高い美意識を伝える。

浴場にまつわる様々な物がリュトン酒器、フレスコ画とともに展示されていた。驚いたのは、テルマエでの入浴は複数の浴室を巡る循環浴だったことだ。

第3章 - テルマエと美術

この章から写真撮影可能となった。途中、古代ローマの指輪なども紹介されていた。

動画を用いて再現した当時の浴場を説明していた。

第4章 - 日本の入浴文化

本展最後の章では、国内に残される地方色豊かな温泉文化にも触れながら、日本のお風呂の歴史を概観している。

ディテールまで緻密に再現した模型。当時の様子がありありと脳裏に浮かぶ。

時折主人公のイラストがセリフと共に登場し、印象付けている。

『テルマエ・ロマエ』の主人公・ルシウスが浴場を通して日本とローマを往復したように、古代ローマと日本のそれぞれの入浴文化を体感できた展示会だった。

特にローマの社会システムがいかに発達しているのか驚嘆した。2000年も前なのにもかかわらず、水、燃料、インフラなど社会基盤が整っていたのだ。システム化した点がローマの強みともいえる。

一方、日本でも江戸時代から温泉地が発達し、明治以降は公衆浴場(銭湯)が国民の健康維持に大きな役割を果たしてきた。さらに昭和期に住宅の内風呂が普及したことで、現代の日本人は気軽に入浴を楽しめるようになった。

このように、時代や地域は違えども、古代ローマと日本の人々は入浴を生活に深く根付いた文化として育んできた。本展覧会では、考古資料や美術品、模型などを通して、テルマエを愛した古代ローマ人の生活の一端を垣間見ることができたと思う。

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