新年早々に世界平和を願った話【日本一周169日目】
あけましておめでとうございます!!
2021年もゆるゆると旅をして参りますので、どうかよろしくお願いします☺️
歳を越すと言っても、旅人にとっては特に何もかわりない1日だ。正月だからって何も特別なことはない。
旅人が正月の余韻に浸っていたらえらいことになる。
早々に正月気分を振り払い、旅人モードに切り替えた。
長崎の街は正月感であふれているが、そんな中バイクを走らせて本日最初の目的地へと向かう。
長崎市平和記念館と、平和公園だ。
ご存知、長崎県は、広島県についで世界で2番目に原爆を投下された街である。
中でも当時の資料が残されている平和記念館は、必ず訪れようと思っていた。
新年だから空いていないかとも思ったけど、正月からしっかり営業してくれていた。お決まりのアルコール消毒と検温を経て、奥へと進んでいく。
奥に進んでいくと、中は螺旋状になっていた。
下に降りるにつれて、数字が刻まれていた。
1995・・・1990・・・1985・・・。
降りる度に数字は小さくなっていき、
過去へと遡って行った。
終点にたどり着いた。
数字は・・・1945。
長崎に原爆が落とされた年だ。
最下層まで降りたところで、受付となっており、入館料200円を払って中へ。
館内は静寂し、不思議な空気に包まれていた。
噴き上げるきのこ雲。雲の下の真実を知ってください。
忘れないでください。伝えてください。
そんな言葉とともに、原爆資料館の見学は始まった。
※ショッキングな言葉や写真が続きますので、自己責任でお読みください。
ーー1945年8月9日午前11時2分。
ファットマン(太った男)と呼ばれた原子爆弾が、長崎市の上空500mで炸裂した。
爆発の瞬間、落下中心地の温度は一瞬にして4000°にまで上昇。凄まじい爆風と共に、人も建物も、全てが破壊された。
爆風の衝撃は、中心地から10km以上離れた民家の窓ガラスが割れるほどの威力だったそうだ。
激しい熱により、全てが溶けて消えた。
ラムネ瓶などのガラスは一瞬にして高音で変形し、屋根の瓦は蒸発して沸騰した。
直撃を受けた人間の身体は、一瞬にして内臓まで全ての水分が蒸発し、真っ黒に焦げた死体になった。
かろうじて生き延びた人たちも、その後原爆の後遺症に苦しめられた。
原爆の熱風を浴びた身体は、傷痕にケロイドが出現し、痛みや痒み、ひきつりなどとともに被爆者たちを苦しめた。
被爆直後からは嘔吐や下痢、発熱、内出血、口内炎などの症状が相次ぎ、被爆から1週間を経過する頃は、突然の脱毛が見られるようになった。その後も原爆白内障、血液の癌である白血病、全身のあらゆる臓器に発生する多臓器癌など、数ヶ月から何十年もかけて、緩やかに、しかし確実に被爆者たちの体を蝕んでいった。
資料館では、原爆によって起こった悲劇や、原爆が人体に与える影響などを、当時の遺品や写真などを中心にわかりやすく展示されていた。
展示の最後には、沢山の平和を祈る言葉や、千羽鶴などが並べられていて、
沢山の千羽鶴を見た時は思わず涙が出た。
広島の原爆資料館は閉館していたから、ちゃんとした原爆の資料館を訪れたのは今回が初めてだ。
覚悟はしていたけれど、思ったよりショッキングな内容に衝撃を受けた。
資料館を出た後は、隣接している平和公園に足を運んだ。
爆心地を中心に作られた公園とのことだ。
ここだ。
75年前の8月9日。
ここの上空500mで、原子爆弾が炸裂した。
かつてこの場所で、多くの命が失われて、多くの人の人生が狂わされた。
75年の時を経て、いま僕は、ここに立っている。
資料館に入って最初にみた言葉を思い出した。
ー忘れないでください。
ー伝えてください。
長崎に原爆が投下されてから半世紀以上経つのに、今も地球上では、全ての人類を滅ぼしても余りあるほどの核兵器が存在している。
当時よりもはるかに優れた性能を持ち、核保有国同士が睨みを聞かせ合っている。
きっと誰もが、大切な人や家族がいて、守りたい人がいるはずなのに。
きっと誰もが、平和を望んでいるはずなのに。
なぜ戦争が起きてしまうのだろうか。
原爆によって起きた悲劇を繰り返さないため、自分たちにできることはなんなのだろうか。
それはきっと、
一人一人が歴史を知ること。過去を否定せずに受け入れること。そして伝え続けることなんだろうな。
旅の中で必ず訪れたかった場所なので、ここに来ることができてよかった。
資料館を出ようとしたところで、
福岡から来たというスンミさんたちご一行と出会った。
スンミさんたちは旅行で長崎に来ているみたい。たまたまスンミさんたちが記念写真を撮っているところに通りかかり、仲良くなった。
今度は糸島でお会いしましょう。サフランにご飯食べに行きます!
スンミさんたちと別れた後は、
次なる目的地へと向かった。
グラバー園だ。
グラバー園では、幕末の日本で商人として活躍したグラバーの邸宅を見ることができる。
幕末の時代。日本は海外諸国の近代的な技術を取り入れようとしていて、
長崎はその玄関口だった。グラバーは日本に、数々の西洋文化を輸入して、日本の近代化に大きく貢献した人物なのだそうだ。
例によって例の如く、アルコール消毒と検温などをしてから中へ。
620円を払って入場!
グラバー園の中では、当時のグラバーや商人たちの生活の様子や、日本に輸入された商品たちが展示されていた。
そして最奥には、グラバー旧邸。
実際にグラバーが生活していた場所があった。
・・・ん?
・・・あ、あれ?
工事中だった😭😭😭
嘘やろ、、、
グラバー園から望む、長崎市の街並み。
どこか北海道の函館に似てると思ったけど、
その理由がようやく分かった。どちらも幕末から明治にかけて、港町として西洋文化が入ってきた場所なんだ。。。
こうして、グラバー園を後にした。
帰り際に長崎カステラを注文(360円)
そのあと長崎ちゃんぽんの名店、四海楼に行こうとしたら元旦でしまっていた笑
正月だけあって空いてる店も少ないなぁ、、、
この日はこのまま、長崎市の山奥で夜を越すのであった。
そして明日はいよいよ、
楽しみにしていた軍艦島へ☺️
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